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組織内で対話することの価値は何か?

このところ、個人だけではなく集団にアプローチするチームコーチングの需要がじわりじわりと高まっているとも言われています。とはいえ、組織内での対話それ自体に貨幣換算した価値を見出したり、対話プロセス単体に投資するのは、まだ難しいという考えの方が一般的かもしれません。

何か「新しい知識」をインプットするような研修も、やはり意義があります。一方でその視点が強すぎると、関係性というチームのパフォーマンスを左右する目に見えない裏ボスの存在が過小評価されてしまうことも起こり得ます。

今回はそんな視点から、対話がもたらす価値について書いてみます。


日常のコミュニケーションは切り口が固定化されやすい

例えばチームで業務上のコミュニケーションの量はそこそこ取っているよ、という場合には対話は不要でしょうか?私は必ずしもそうではないと考えています。

というのも、日常業務についてのコミュニケーションは、差し迫った具体的な課題やタスクについての処理に関するものに偏ってしまいがちです。例えば「将来の方向性」のような、”重要度は高いが緊急度は低い”テーマは後手後手に送られてしまいがちです。

さらに言うと、上司—部下のような権力関係(ランク)も発言に影響を及ぼしてきます。極端な一例をあげると、どれだけ上司が「自由にどんどん発言してくれて構わない」と促しているのに、誰も手を上げない会議ってみかけたりしませんか?これは平時のランクがコミュニケーションに影響を及ぼしている、ということになります。

「あえて対話をする」ということは、こういった普段のコミュニケーションを固定化させる諸要素の影響を取っ払うとか、あるいはランクの及ぼす影響力を低下させるようなデザインを意図的にすることが可能になります。それによって、普段とは異なる切り口でのコミュニケーションを促進させることが期待できます。

意外と「同じことを考えていた」ということもある―エレファント・イン・ザ・ルーム

対話といえば”相互理解”、つまり異なる意見を受容しましょうという文脈が多いのではないかと思います。イノベーションは常に周縁化されている場所から起こるため、異なる意見を受け入れ相互理解を促すことは、もちろん大切です。

一方で、「実は同じことを考えていた」ということが表に出る、という現象も対話のもたらす果実の一つです。

英語のことわざで、The elephant in the room(部屋の中の象)というものがあります。これは「なんとな~く皆があえて口にしくいこと」、要は不文律的にタブー化してしまったようなものを指しています。

往々にしてこういった象さんは問題の核心をついていたりします。誰かが象さんのことをふと口にすることで、隠れていたものが表に出て関係性が進展することがあります。「それ、あるよね!同じことを思ってた!」みたいな。

そのため、異なる意見に限らず、同じ意見であることが分かるというのも重要なポイントです。

自分軸が明確になる

チームに向かって自分の意見を言語化するなどして伝えるということは、今の自分自身の考えを自分の中でもピン留めすることにもなります。それをチームに投げかけた結果、良い悪いという評価判断をいったん保留し受容されていくと、さらに自分の意見を伝えるという行動が促進されていきます。

それは時にチームワークを向上させたり、象さんを表に出して関係性を進展させたりするかもしれませんが、まず何より本人の内省を深めて視野を広げていくというステップにもなってきます。

まず基盤となる自分軸を立たせるためにも、他者との対話はとても役に立ちます。


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