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書きたいというより、書いてしまうもの

私は創作をするにあたって、昔は理想とするものがあったし、それに寄せようと頑張っていたような気もするのですが、いつの間にかそうじゃなくなってるという気づきがありました。

なんか、こう、吐き出したいものというか、吐き出されるものというか。自分の意思を超えて、書いてしまうものがそこにはあるなぁと自分の創作を読みながら思うのでした。

それって、小説家を目出すものとしてどうなのだろう?という疑問も湧くのですが、自分としてはそういう、ある意味自然体で書き連ねてしまう方が、結果として書けてしまうなぁと思うんです。出来不出来はとりあえず置いといて。(いや、ダメでしょ。笑)

私は、小説家って職人だと思ってるんです。
でもその職人としてのあり方も、様々だよなぁと。私は感性ばかりが先立って技術がありません。だから、技術を高めたいなと高い理想を持ってしまい、長い文章となると書きあぐねることが多いです。

構成も大切だし、地の文も会話文も、それから思弁的に語られる何かも必要だと思っています。

だけど、やっぱり好き勝手にといいますか、自分の意思を超えて、書いてしまうもの。そういうのが私らしさかもしれないのかな?とか考えてしまいました。

創作大賞に応募したホラー小説『愛玩の君』は反省点が多く、正直そもそもジャンルが自分に向いているのかも不確かなふわふわした感じなのです。でも、なんだか書いてしまいました。
(確かにヌワイエ様というキャラクターは、思いついてからいろいろ設定を考えましたけどね。)

私は、もともとホラー小説ではなく、こんな短いお話を書き散らしていました。

ありがたいことに、『愛玩の君』やその他の自分の作品にも感想やコメントを頂き、自分では気づかなかった自分らしさを知ることが出来ました。感謝しかありません。

書きたいというより、書いてしまうもの。

私がそうなってしまう理由。根底にあるのは単純に自分の素直な気持ちのようにも思います。
寂しい
辛い
恋しい
恨めしい
怒り
欲望
執着    etc.

このまま、綺麗では無い何かにまみれた自分を、出していけたらいいのかなと。

あ、言っときますけどもちろんそれは表現という意味であって、書くのはフィクションですからね。笑

そういう気づきを与えてくださったみなさん、本当にありがとうございました😊

肩の力を抜いて、公募に向けて、また小説に取り組もうと思います。

私が私を導くのですかね?そうあって欲しい気もします。

ここまでお読み下さりありがとうございました🙏✨️


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