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ぱっとみ真面目な中間管理職の私が、芸人に憧れて芸人を諦めるまでの10年間(12)

今年ディズニーランドと一緒に40歳アニバーサリーを迎える、見た目も平凡、人生も平凡、中間管理職が天職の私が、18歳から28歳まで芸人になりたくてくすぶっていた話。そして、きっぱりあきらめた話。

相方が逃げた。

M-1予選の1か月前くらいだったような気がします。
ネタも大体できあがって、地下ライブ(当時はそんな呼び方はされていなかったと思うのですが、まだタイタンに入る前のウエストランドは見かけました。)のネタ見せにも行ったりしていたのですが、急に「辞めたいです。もう行かないです。」とメールが来ました。
まあ、無理もないと思います。
笑いの趣味もあわない世代も違う人と、なぜ数か月も組んでいられたのか、逆に謎です。ウケなかったですしね。

相方を失った私は途方に暮れました。
この情熱はどこへ向けたらいいのかと思いつつ、ああ、これが潮時なのだろうとも感じました。

私は「ビジネス」企画のほうが楽しかった

一方でスタッフ養成学校はとても楽しかった。
しかし、こちらもまた気づきがありました。
私は、コンテンツビジネスの授業が一番面白いと感じてしまっていた。
つまり、お笑いの話というより、お笑いのコンテンツ(番組など)をどう売るか?というビジネスモデルの話です。
これは、別にお笑いの世界にいなくてもできる仕事で、しかもお笑いの世界ではないほうが携わる可能性の高い(と感じた)仕事でした。
私には(ミーハー的な意味でも)好きな芸人さんは数組いたものの、「いつかこの人と必ず仕事をしたい!」と思う人がいるわけでもありませんでした。
「自分が必ずこういうコンテンツを世に出したい!」というクリエイター精神があるわけでもなかった。
自身にグッズ収集癖がないのでグッズにも興味がなかった。
生で舞台を見る経験も少ない幼少期だったので、ライブに対するこだわりも特になかった。

おまえは受け身がとれる

ただ、スクールでは、師に出会うことができました。
その人の講話を、一言一句漏らさないように必死にノートに書き留める姿は、信者と言ってもよかったかもしれません。
私が、元の職場をこれからも続ける方が自分にあっているかもしれない、と思ったとき、その方からも言われました。
「おまえは受け身がとれる。だから、どこでも生きていけるよ。」

私は、芸能界への未練を捨てました。

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