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きらきらとかがやく世界で

「私には写真がそれだけど、まーやにとっては文章が呼吸をするための何かなんだね。だってブランクがあっても書くこと自体を止めたことないもんね。」

オンライン呑みの誘いを受け、台所で缶ビール片手につまみを作りながら、調味料スタンドに立てかけたスマホの画面越しに彼女は言った。

彼女との出会いは20歳のとき。夏休みの1ヶ月間、選挙事務所に毎日通っていたことがありそこで知り合った。政治学科に籍を置き、投票行動がどうとか古代ギリシャの直接デモクラシーとか議席配分とか囚人のジレンマとか、訳も分からず単語だけシャワーのように浴びる生活の先に、私は一体どうやってこの社会で生きていけばいいのだろうということが気がかりだった。20歳の私よ、残念ながらその悩みは10年以上経っても解決しないぞ。

学んでいることと現実世界をつなげたくて、政治家を見に行こう、と思った。卒業生の進路に多いのは公務員や銀行やメディアだったが、そのどれもピンと来なかった。たぶんぜんぶ向いてない。私の本能がそう告げる。ならば少し違う視点で。代議士を覗くのはどうだ。ちょうど政権交代が起きるという風が吹いているし、成人したから選挙活動できるじゃん、という時機も背中を押した。

面接のため事務所を訪ねると、「何を見たいの?」と訊かれたので、「見せてもいいと判断するものはすべて見せてください。」と答えたのを覚えている。性質上、明かしてはならないことも当然あるだろう。でも、できればすべて見せてほしかった。

私のその想いに誠実に応えてくれる形で、電話かけからビラ配り、総決起集会でのスピーチ、ウグイス嬢まがいのことまで、ありとあらゆる体験をさせていただいた。ボランティアに来る50代くらいのおば様たちのお茶タイムでの会話、支援者宅まわりで振る舞われるカツ丼、深夜にも関わらず翌朝の街頭演説の場所取りに向かうスタッフ。しばらく忘れていたが思い返してみると割と鮮やかに光景が蘇る。

「候補の隣に立って、とにかく笑顔でビラを撒いてほしい」と言う人もいた。ポスティングしていたら住人に遭遇したので直接手渡したら、「男には入れないよ、あなただったら入れるけど」と答えた有権者もいた。その時初めて、どうも世間では「若い女性」という記号に市場価値があるらしいと実感した。やがて候補者の隣に記号として立つと、道行く人の姿がはっきり見えなくなった。記号の自分はのっぺらぼうのように顔を持たず、世界も他者も空っぽな虚像になる。だからうっかり外国人にビラを渡してしまい、すぐさま記号から私に戻った自分は大きな過ちを犯したことに気づいた。「日本人は、外国人のことを人間と思っていないからね」と告げる鋭い眼差し。ああ、本当にごめんなさい。「今回見てもらった人はそうでなかったけれど、世の中には、この人こそ政治家にしなければならない、という人もいる。それを忘れないで。」いまだ耳に残る、お世話になった政治秘書の言葉。

つらつらと回想していたらこんなに字数だけ重ねてしまった。まあとにかく彼女、陽子ちゃんはそんな時期に出会い、初対面で2時間だけ話をしたらお互いに意気投合した間柄だ。以来、様々なことを彼女から教えてもらったり、考える手助けをしてもらったりなどしている。

彼女と話をしている中で、私はなんども「陽子ちゃん、いいこと言うね」と言っていた。缶ビール2本目。そこでふと高校時代の友達にもらった言葉を思い出したのだった。

高校時代の友人の結婚祝いに直筆の手紙を送ったら、その返事が手紙できた。手紙というのはこちらに書いたものが残らない、その人だけに向けた贈り物だと私は思う。なので正確には憶えていないが、お祝いの言葉と、新居が荻窪とのことだったので、最近その駅にできた趣きある個人書店を薦めたのだった。

返信の中には、「高校時代から今も変わらず、maiyaは私に新しい世界を気持ちよく紹介してくれる大切な人なんだよ」と書かれていた。思えば彼女、数年前にも「maiyaは地図を描くのがとても上手だね」と言ってくれたんだった。私の周りにいる人たち、どうしてこんなに豊かな言葉を持っているのだろう。

陽子ちゃん、あなたは私に新しい世界を気持ちよく紹介してくれる人だわ。この言葉、陽子ちゃんにもそのままあげるね。おすそわけ。と言ったら、

えーなにそれめっちゃいいじゃーん! と真夏の太陽のように朗らかに笑った。

その笑顔を見ていて、私はさらに昔読んだこんな詩を思い出す。

「あなたはおおげさねと おんなはいう
あのひとは ぼそぼそはなしただけよ
ぺらぺらしゃべったりは しなかったわ
いやむしろ がみがみわめいてたよ
ぶつぶつと おとこはいう
あなたみたいに うじうじいうのよりいいわ
さばさばと おんなはこたえる
ろりくいちっぷきゅりりりりと
かごのなかの ことりがさえずる
おんなのみてる まんがのなかで
ズテテッと しゅじんこうがずっこける
まどのそとに ぽつんとかかしがたっている
きらきらかがやく まなつのひのもとで
せかいは ほとんどおんがくであった」
(谷川俊太郎、『よしなしうた』より「オノマトペ」)

そういえばあなた夏生まれだったよね。この詩はまるで陽子ちゃんのために書かれたみたいだね。音楽も好きでしょ?

私の息づく世界は、遠い昔から受け継ぎあるいは遥かな未来を描くたくさんの人たちの言葉にあふれている。そして、それらの結び目を原点として、私の思いを少しだけ加え、日々新しくその姿を現すのであった。


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