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映画『マチネの終わりに』感想

よーーーうやく観た。

原作を読んで、映画化を知って、ちょうど『劇場版おっさんずラブ』公開のころから5、6回くらい映画館で予告を目にして、観たい!と思っていた。
それなのに11月は何だか週末に予定がつまっていてなかなか映画館に足を運べずヤキモキしていたのだ。珍しく夫が観ようかなと言うので一緒に観た。

クラシックギタリストの蒔野聡史(福山雅治)とジャーナリストの小峰洋子(石田ゆり子)が繰り広げる大人の恋愛の物語。

苦しくて美しい映画だった。ギターの音色はもちろん、光がとても美しい。
洋子の部屋でのシーン。
セントラルパークの広場を歩くシーン。
福山雅治も石田ゆり子も、思わずうっとり見とれてしまう美しさだ。
(ここで夫に目指せ30で新垣結衣、50で石田ゆり子と煽られる。素材がなあ!!!違うんだよ!!!!!)

夫は原作を読まず、事前情報も入れていなかったためか、あまりに救われない2人の物語に完全に絶望していた。
固まって観ていたから体力をごっそり持っていかれたらしい。

たしかに、ストーリーをわかって観ているわたしも、劇中に何度もこの2人が望む結末になったらいいのに……!と願わずにはいられない。

※ネタバレNGの方はここらでストップしてくださいませ✋


それでもわたしは三谷早苗を憎むことができない

蒔野と洋子の運命を狂わせることになる存在が、蒔野のマネージャーである三谷早苗(桜井ユキ)だ。
映画を観た人なら彼女を憎むかもしれない。
彼女があんなメールを送信しなければ、彼女が2人の関係の間に存在しなければ、きっと蒔野と洋子は結ばれていただろう。

もちろん彼女のやったことは身勝手で間違っている。わたしが当事者だったら「何やってんだあああ?!」ってぶちギレていると思うから、洋子はやっぱり大人の女性だなって思う。

でも、早苗の気持ちも痛いくらいわかる。わかってしまう。

映画の中で「三谷は蒔野の人生の名脇役でありたいと思っている」という描写があって、原作ではもうちょっとこの描写が掘り下げられていたように思う。

洋子は世界的に有名な映画監督の娘で、マルチリンガル。ジャーナリストととして国外を拠点に活動し、経済的にも精神的にも自立している。芸術家としての蒔野と対等に会話できる知性を持っていて、美しい人。

そんな圧倒的ヒロイン属性を兼ね備えている洋子のことを、早苗は初めから疎ましく思っていただろう。
「人生の目的は蒔野」と言い切る早苗は、蒔野のマネージャーとしてすべてを捧げてきた。
それなのに、運命的に出会った洋子に蒔野の心はさらっと持っていかれてしまうのだから。
できればもう2人が会わない理由ができてほしいと願っていたはずだ。

物語のヒロインになれない脇役の早苗がとった行動は、洋子と蒔野を引き裂くことだった。
きっとバスターミナルでたたずむ洋子を見て、ほとんど衝動的にあのメールを書いたのだろう。

わたしは早苗を憎めない。
わたし自身を「脇役」の早苗に重ねてしまうから。
早苗もわたしも、おそらく多くの人もこっち側の人間だから。

やや脱線するが、早苗からことの顛末を聞かされた洋子と蒔野がそれぞれの場所で水の入ったコップを握りしめる演出、なるほどなと思った。
2人ともコップを握りしめて行動を起こそうとするけれど、結局何もできない。
運命の為すがまま翻弄される2人がよく現れているポイントだ。


蒔野と洋子の再会、その後

物語はNYのセントラルパークで2人が再開を果たすシーンで締め括られる。

その後は観客の想像力に委ねられている。
原作を読んだとき、わたしは2人は結ばれることはなく、日常に戻っていくのだろうなと想像した。でも映画の2人なら結ばれてしまうのかも?と感じている。

蒔野は早苗と娘との日常を愛している。
洋子も早苗を直接責めることもできたはずなのに、それをしなかった。

空白のコンテキストを埋めるように、これまでのことを言葉がつきるまで語り合って、それでも男女の仲になることはなく別れるのだろう。

そう思っていた。

しかし、映画の蒔野を見ていると、もっと強く洋子のことを求めているような気がするし、洋子も蒔野の気持ちに引っ張られてしまうのだろうなと感じたのだ。

そしてやっぱりここでも早苗の態度が重要だ。

早苗が洋子に自身の罪を告白するシーン。
原作ではたしか洋子に「コンサートに来ないでほしい」と懇願していたはず。でも映画では真逆のことを言っていた。

あれ?この時点で早苗が身を引こうとしている?

そしてNYに発つ蒔野を早苗が見送るシーン。
映画では早苗が「好きにしていいよ」と蒔野に言う。彼女があそこで流した涙は「もうこの人は戻って来ないかもしれない」と思ってのことだろう。

ここでも早苗が蒔野の背中を押しているように思えてならない。

残酷かもしれないけれど蒔野と洋子は結ばれずに終わるのが物語としては自然なのだろうなと思いつつ、映画の2人なら原作とは違う結末が見えるかも……という一抹の希望が残されたような気持ちだ。


まとめ

洋子のことを思うとつらくてつらくて苦しくなる。
それでも、あのラストの再会シーンを見ると、彼女は蒔野と出会ってよかったと振り返るのだろう。
「未来が過去を変える」という劇中繰り返されるキーワードのとおり、彼女の苦しみは彼女自身で昇華していくのだと思う。

誰の目線で観るかによってもっと違うものが見えてきそう。
もう一度原作を読み直そうかな。


まとめがまとまらない

観た後に考えたことはたくさんあったはずなのに言葉にするのは難しいモノですね……。

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