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「旬」はいつですか?

お昼ご飯を食べたあとの教室はぼんやりしていて、そこにいる半分くらいの人が眠そうな顔。

黒板の前では、街中にいたら「ただのおじさん」にしか見えない教授がマイクを手に夏目漱石の話をしている。

大学時代、文学部だったわたしは比較文学の授業を履修していた。専攻は文学には関係なかったので、「何となく面白そう」、「単位が確実に取れそう」という何とも怠惰な学生らしい理由で選んだと思う。

そしてご多分に漏れず、申し訳ないくらいに講義の内容を覚えていない。
日本の文学作品と他国のものの影響関係を明らかにしたり、世界の文学作品を対比させながら研究するための手法を学んだり、そういう授業だったと思う(ぼんやり)。

そんな調子でも、講義の中でひとつ印象に残っていることがある。

「皆さんの中で小説家になりたい、あるいは何か創作をしたいと考えている人は、今すぐに書いてください。つくってください。」

「きちんと勉強してから、と思っていると一生できませんから」

当時のわたしは小説を書きたいとも何かをつくりたいとも思っていなかったので、「ふーん、なるほどね」と思うだけだった。

でも、何となく意味のある言葉に思えて、数年間記憶の片隅にとっておいた。
そしてふとこのことを思い出してnoteを開いたのが7月のこと。

何かをつくりだすという意思は、新鮮でなければ味気ないし、とても鮮度が落ちやすい。

「これを書きたいな」と思った瞬間にメモしておかないと10秒後には忘れている。
そして、これについて書きたいからこの本を1冊読んでからにしよう、と思うとその本を閉じる頃には別のことを考えている。
勉強不足だから書くのはまた今度にしよう、と思っていると、その今度は一生やってこない。

短期的に考えてもこんな具合なので、長編小説を書くぞ!とか、たくさんの人に読まれる傑作を書くぞ!とか、そういう中長期的な目標みたいなものは少し寝かせただけで腐ってしまいそうだ。

(寝かせて熟しておいしくなることもあると思うけれどそれは才能に溢れる人が違う表現を探してやるやつだ。)

だからわたしは「旬」を待たないことにする。
「文章を書く」と決めてから日常を過ごしてみると、書いてみようと思えるテーマがいろいろあるんだなあと感じているから、わたしの旬は今だ。

「こんな文章を書きたいな~」と思ったら、noteのアプリを開いて走り書きをする。
ほぼ壁打ちみたいな行為でも、ここでは立ち止まって読んでくれて、♡を押してくれる人がいる。

ありがたいな。うれしいな。

そんな気持ちで少しずつ少しずつ、「書く」という行為を積み重ねていきたい。
(そしてあわよくばいろんな人に読んでもらえる文章を書きたい。)

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