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今を生きるという才能

人間は過去と未来を生きるけど、今をうまく生きることができない。

子供を見ているとたまにとてもうらやましくなる。

それはたぶん、彼らがまさに今という瞬間を100%の力で生きているからなんだろう。

今、この瞬間こそが100%の自分だから、ちょっとしたことでも思いっきり心から大笑いができる。ちょっとした要求が通らなかっただけでも、この世の終わりかというくらいの大泣きができる。

もちろん、最近は時間感覚も少しずつ身につけてきてはいる。「あとで」とか「今日は何をした?」とかいうことが理解できるようになってきた。時間軸が彼らの生活に現れてきたんだと感じる瞬間。ただ、その時間軸をまだうまく自分で調整することはできない。

大泣きしているときに、じゃあ違うおもちゃで遊ぼうとか、これがちゃんとできたらお出かけできるんだよ、と少し気持ちを変えてあげると泣き止んだりする。

これはたぶん、ちょっと先のことを考えたり、今やっていたこと以外の選択肢があるということ(これもある意味未来への想像力だと私は思う)がすぐに自分から思いつかないからなんだろう。つまり、まだ時間軸(特に未来)をうまく調整できないからなんだと思う。

あとで美味しい物が食べられる、とか、あとで本を読んでもらえると分かったら、今オムツを替えてもらうことに納得したり、今コートを脱ぐことに納得したりできるようになる。

一方で、過去のことについてはもっと早くから理解し始めた。特に印象的だった出来事、例えばクリスマスのことは今でも覚えているみたい。数ヶ月前のことなのに。もちろん、そんなに前のことではなくても、例えば「さっき転んで痛かったんだ」、ということを必死に訴えることはかなり早くからできるようになった。

でも今日はお昼寝が終わったらおばあちゃんが来る、というような未来の情報を理解できるようになったのはつい最近のこと。

過去は記憶と結びついている。覚えるということがある程度できるようになった証拠でもあるわけだけれど、人というのは時間軸はまず過去から伸びるんだな、と。

さて。どこかで読んだ話だけれど、人というのは若いうちは未来にあることを目指したり、これからのことを夢見たりするけれど、ある時点からは基本的に若いとき(過去)にノスタルジックになるという。究極を言えば90代前後の祖父母はほぼ過去の記憶を糧に日々、生きている。

人と時間の関わり方は命が進むにつれて変化していく。

今を精一杯生きることがちゃんとできるのはごくごく幼い子供の特権なんだ、と感じる。

まだ未来に伸びる時間軸がとても短くて調整もうまくできないからこそ、今を精一杯生きるという才能がそこに残っているのだ。とにかく私からはそう見える。

だから大泣きをしている彼らを見ても、そっか、今だけがすべてってそういうことなんだ、自分にはもうできないな、とちょっとうらやましくなったりする。

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