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センスなどではなく、『理論』『計算』『努力』という優しいメッセージなのだ

YouTube講演家で、そして炎の講演家である、鴨頭義人さんのVoicyを、僕は毎朝聴いています。

4月8日の放送でした。
鴨頭さんは、中谷美紀さんの、本物の女優魂を解説してくださったのです。


僕はこのnoteに書いたつもりだったのですが、見当たりません。
stand.fmで話したのでしょうか? それで書いたと勘違いした?

とにかく、繰り返しになるかもしれませんが、心に残るメッセージでしたので、みなさんもぜひ、お聴きになってみてください。

◆鴨頭さんのVoicy

こちら ↓ ※ チャプター2、3、4、が本編です。


◆テキスト:黒沢清監督の「解説」

中谷美紀さんの著書『ないものねだり』(幻冬舎文庫)の巻末の「解説」で、映画監督の黒沢清さんが書いておられた話。

今でも強烈に印象に残っている撮影現場の光景がある。
中谷さんに、沼の上に突き出た桟橋をふらふらと歩いていき、突端まで行き着いてついにそれ以上進めなくなるという場面を演じてもらったときのことだ。

これは、一見別にどうってことのない芝居に思える。正直私も簡単なことだろうとタカをくくっていた。だから中谷さんに「桟橋の先まで行って立ち止まってください」としか指示していない。
中谷さんは「はい、わかりました。少し練習させてください」と言い、何度か桟橋を往復していたようだった。最初、ただ足場の安全性を確かめているのだろうくらいに思って気にも留めなかったのだが、そうではなかった。
見ると、中谷さんはスタート位置から突端までの歩数を何度も往復して正確に測っている。
私はこの時点でもまだ、それが何の目的なのかわからなかった。

そしていよいよ撮影が開始され、よーいスタートとなり、中谷さんは桟橋を歩き始めた。徐々に突端に近づき、その端まで行ったとき、私もスタッフたちも一瞬「あっ!」と声を上げそうになった。
と言うのは、彼女の身体がぐらりと傾き、本当に水に落ちてしまうのではないかと見えたからだ。
しかし彼女はぎりぎりのところで踏みとどまって、まさに呆然と立ちすくんだのだ。

もちろん私は一発でOKを出した。

要するに彼女は、あらかじめこのぎりぎりのところで足を踏み外す寸前の歩数を正確に測っていたのだった。

「なんて精密なんだ……」

私は舌を巻いた。と同時に、この精密さがあったからこそ、彼女の芝居はまったく計算したようなところがなく、徹底して自然なのである。

つまりこれは脚本に書かれた「桟橋の先まで行って、それ以上進めなくなる」という一行を完全に表現した結果だったのだ。
どういうことかと言うと、この一行には実は伏せられた重要なポイントがある。なぜその女はそれ以上進めなくなるのか、という点だ。
別に難しい抽象的な理由や心理的な原因があったわけではない。彼女は物理的に「行けなく」なったのだ。

「行かない」ことを選んだのではなく「行けなく」なった。どうしてか?

それ以上行ったら水に落ちてしまうから。
現実には十分あり得るシチュエーションで、別に難しくも何ともないと思うかもしれないが、これを演技でやるとなると細心の注意が必要となる。先まで行って適当に立ち止まるのとは全然違い、落ちそうになって踏みとどまり立ち尽くすという動きによってのみそれは表現可能なのであって、そのためには桟橋の突端ぎりぎりまでの歩数を正確に把握しておかねばならないのだった。

と偉そうなことを書いたが、中谷美紀が目の前でこれを実践してくれるまで私は気づかなかった。

彼女は知っていたのだ。
映画の中では全てのできごとは自然でなければならず、カメラの前で何ひとつゴマかしがきかないということを。そして、演技としての自然さは、徹底した計算によってのみ達成されるということを。

著者:fujiponさんの記事から引用

fujiponさんの記事を、読んでいただけると、さらに解説が続いています。


◆fujiponさんの解説を要約


「アート」とか「芸能」「スポーツ」「創作」の世界では、
「センスが良い」なんて言葉がよく使われますよね。
天から与えられた才能がある人は、他の人ができないことを、無意識のうちに、あるいは当たり前のようにやってしまうように見えるのです。

この中谷美紀さんのエピソードを読んで、僕は思い知らされました。
「演技としての自然さは、徹底した計算によってのみ達成される」

矛盾しているようですが、たしかに「演じる役柄になりきる」だけでは、結果的に「自然な演技」にはならないのです。
そもそも、脚本を読んで演じている役者と、桟橋の先が行き止まりであることを意識していない登場人物が「同じ感情」にはなれません。
内心が「同じ」にはなれないからこそ、そういう状況での身体の動き、を計算し、再現するのです。

アメリカでは、有名な大学に「演劇科」があり(日本にもいくつか存在します)、そこで長年積み上げられた「演劇理論」が教えられているのです。

天賦の才能を持った人は、他の人よりも飲み込みが早いし、理論なんて学ばなくても、ある程度のところまではいくこともある。
周りからは「才能がある」ともてはやされ、本人もその気になってしまう。

ただ、そうやってセンスだけでやっていると、いつか壁に当たることが多いのです。
これは、仕事でも、勉強でも、スポーツでもそうだと思います。

野村克也さんは、
「自分には並外れた才能はなかったけれど、『頭を使って野球をする』『相手のピッチャーの配球やチームの作戦をひたすら考える』ことで、プロ野球界で生き残ってきた」

と、著書のなかで何度も仰っています。

「自分には才能がない、センスがない」と嘆いている人は、
まず、先人が積み上げてきた「基礎」や「理論」に立ち返ってみるべきなのかもしれません。

◆鴨頭さんの解説

鴨頭さんは、これらの引用を、以下の言葉で結びました。

全ての活動、仕事において、「私にはセンスがない」となげくのではなく、またオリジナルに走るのでもなく、

ちゃんと理論を学んで努力を続ければ、長い間活躍できるよ

という、優しいメッセージだと思ったので、一緒に頑張って行きましょう。

鴨頭さんのVoicyから引用

◆蛇足

よく聞く言葉です。

「イチローさんを『天才』と呼んで良いのは、イチローさんと同じ努力を積み重ねた人だけだ」

誰かを「天才」「才能ある人」「センスがある」と評した場合、
これは、努力を放棄するときの、あるいは諦めるときの、格好の言い訳ではないでしょうか。


◆〆

僕は、必ず成功します。
ゆかりちゃんは、「どんだけオメデタイねん」と呆れます。

僕は「失敗しない」なんて言っていません。
「成功する」と言っているのです。

成功するまで諦めないので、いつかは成功しちゃうんですよ~。

今夜、ゆかりちゃんは、僕の小難しいウンチクを、ちゃんと聴いてくれました。僕はビックリして、そして、嬉しかったです。

ありがとう。

僕は、ゆかりちゃんが大好きです。




おしまい


※この記事は、エッセイ『妻に捧げる3650話』の第805話です

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