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自分のことを「特別」を過信しすぎると、後で苦労する

こんな所で言うのは良くないかもですが、僕は小学生の時、テストでは勉強しなくとも毎回のように点数が良かったんです。この時の僕は、

「自分って特別な人間なんだ。」

と思い込んでいました。僕は中学受験をすることになったのですが、その時も「自惚れていた自分」は、

「ある程度頑張れば絶対に合格できる」

と思っていました。けれど、ここで第一の壁にぶち当たります。僕は小学4年生の時、絶対受かるんだという気持ちで入塾テストを受けました。

結果は…………落ちました。

この時僕は、全てが信じられませんでした。当時の特別な存在だと思い込んでいた僕は、親に15回くらい聞き返しました。だが、結果は不合格。
僕は、自分の力が通用しなかったショックを感じました。ただ、これだけで僕の思考は変わらなかったのです。

「今回だけだ。のちのち頭角を表すぞ。」

そういう根拠のない謎の自信だけを味方にしつつ、僕は中学受験に挑戦しました。2年間、周りのみんなと比べて勉強を全くしなくて、やったのは最後の3週間だけという圧倒的ハンデの中、僕は第一志望、第二志望、第三志望の受験をしました。

結果は…………第三志望しか受かりませんでした。

この時、自分はやっと目が覚めました。
「自分って、これ程度の力だったんだな」

ついにその事実に気づきました。気付くのが遅すぎるという方もいるでしょうが、当時の頭が悪かった僕は、この事実に気づくのに2年以上を要しました。

そして私立中学に入学してからは頑張ろうと思ったのですが…行動に移すことができませんでした。これまでまったく努力をしなかったのが仇になり、頑張ろうと思っても周りの誘惑に毎回負けてしまい、結果的にはゲームが始まると言った悪循環に陥ってしまいます。その結果、1回目のテストの点数が……悲惨でした。授業すらろくに聞かなかったので、今となってはこの結果でも確かにと納得してしまいます。と言うかこの頃の僕は、まだ特別だと思い込んでいたのでしょう。それのおかげで、1年の頃は一回も本気を出さずに、いわば不完全燃焼で終わってしまいました。結論から言うと、それがあと1年続きます。2年生の頃は、

「1年の頃は赤点なんてとらなかったし、大丈夫やろ。」

という甘ったるい考えがありました。その結果、1回目のテストの英語で20点台を記録してしまい、ある意味有名人になってしまいました。正直、学年末に関しては少し頑張りはしたのですが、1年半サボり続けた代償は大きく、前提すらわからず勉強する気をなくすといった「苦労」をする羽目になってしまいました。そのため僕は、若干春休みに頑張って、3年の頃には頑張ってやると言う思いを行動に移すことにしたのです。

やっと報われた「代償」

ついに、僕の努力が身を結ぶ時が来ました。割としっかり勉強して、「これでも赤点を取っちゃうんじゃないか」という謎の杞憂すら生まれるほどガチでやりました。そして、テスト当日。ここで、思わぬ事態が起きます。とあるものが僕のことを襲います。

「プレッシャー」です。

人生で初めてプレッシャーを感じた瞬間でした。ただ、これは自分が頑張ったから感じていると裏返しに考え、テストに臨みました。

結果は…半分より上でした。

やっとまともな点数が取れたなと言う安心感を感じました。そして、これまでこぼしたものを取り返したなと言う達成感も同時に味わいました。

このように、自分の能力を過信しすぎた結果、色々なものを失った気がします。確かに、自分のことを「特別」とか「理想の自分」だとか思い込むのは、ポジティブだからという観点ではいいかもしれません。ただ、それの度が過ぎると、あとで代償を払う羽目になります。なので、本当に必要な能力は、自分のことを「特別」と思い込むのではなく、それを実現するためにする「努力」や「労力」なのだと思います。ただ、自分のことを信じれなくなるとそれはそれでやる気を無くしてしまうので、ほどほどに自己肯定するのがいいのかなと感じました。




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