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なぜ「子どもをケアする人をケアする」なのか

1 「子どもをケアする人をケアする」意味

 今を生きる子どもたちは、生きる壁に何度もぶつかっている。いじめ・虐待・事件・事故など、子どもたちの周りには多くの危険が蔓延っている。そこで負った「傷」を抱えながら子どもたちは、なんとか今を生きようとしている。
 ここで負った「傷」は、社会の歪みの象徴だ。社会が変化するとともに、歪みは大きくなってきた。その歪みは、次第に立場の弱い人たちにしわよせとなって、現れてくる。子どもたちだけでなく、若者、障害にぶつかる人たち、年を重ねてきた人たちへと、その歪みは彼女ら・彼らを「傷」つけてきた。
 そうした傷ついた人たちをケアしてきたのは、子ども・福祉業界をはじめとしたケアに関わる人たちだ。「困っている人の助けになれば」と熱い思いを持って、業界に入ってきた人も多い。
 一方でそのケアを行う人自身も、子どもたちが傷ついてきた社会で同じように生きて「傷」を負ってきた人でもある。過酷な家庭・地域・社会の中で育ち、「将来の子どもたちには2度とこんな目にあってほしくない」と願い、ケアに従事する人も少なくない。もしくは、身の回りの人たちが社会の理不尽にぶつかる姿を間近で見る中で、「傷」を負ってきた人たちがケアに従事することも多い。彼女ら・彼らがケアに関わる原動力が、その「傷」であったことは重要だ。「傷」を一緒に負いながらも、ケアの業界を支えてきたのは彼女ら・彼らでもあったことには間違いない。
 しかしケアに関わる人たちも、葛藤や悩みを抱えながら生きる生身の人間である。自分の過去のフラッシュバックに悩んだり、バーンアウトに苦しむ人もいる。また、そもそも職場環境的に整っていないことの多い現場では、過酷な勤務で倒れる可能性も高い。そうした環境であるがゆえ、自分の将来のキャリアに不安を抱えるのも不思議ではない。
 「傷」を抱えたケアする職員がさらに「傷」を負う可能性が高いことを考えると、ケアに関わる人たちもまたケアされる必要がある。「ケアする人をケアする」とは、そうした「傷」の連鎖をいかに止めるかに鍵がある。

2 「傷口に花が咲く社会に」「20年後の子どもたちが希望を持てる社会に」

 だからこそ、今も「傷」を持ちつづけている子どもたち・大人たちが、その「傷」があっても、あるからこそ、この社会の中で生きていける、希望が持てるような社会を作っていきたい。
 今すぐにはもしかしたら現実は変わらないかもしれない。私が生きている頃には何も変わらないかもしれない。
 私は今ちょうど30歳。私も色々な傷や病を抱えながら生きているので、あと20年生きられるはわからないし、もしかしたらもっと早く人生を閉じるかもしれないと思っている。
 でもその20年後の子どもたちがこの社会に希望をもって生きることができると思えるような社会を遺したい。
 20年後の子どもたちを育てるのは、今を生きている子どもたちだ。何よりその今の子どもたちが、少なくとも傷つかずに生きられる、もしくは傷ついたとしてもケアされ希望を持って生きられるようになってほしい。
 だからこそ、今の子どもたちをケアする人たち自身をケアする必要があるのだと思う。

3 どうすれば「子どもをケアする人をケアすること」ができるのか

 そもそも「子どもをケアする人」というのはあいまいで幅広い言葉である。直接ケアに従事する職員もそうであるし、ボランティアをする人たちもこの業界には多い。またそうした人たちを裏方から支える人もいる。また助成金などを分配するような人たちもまた、子どもたちを支えている。その助成金が集まるためには、子どものケアに世間の関心が高い必要もあるという意味では、子どものケアに関心を持つこともまた、「子どもをケアする人」と言えるだろう。 
 彼女ら・彼らは、子どもをケアする現場にいる多くの場面で、想いを持ちながらも、葛藤し、迷い、落ち込み、気持ちが揺れている。こうした葛藤や気持ちが揺れ動くこと自体がケアにとって重要だという人がいるほど、ケアにはケアする人の存在自体を揺るがす。時には、もうこの業界から離れたいという人もいる。一方で、なんとかこの業界で続けている人もいる。また実際離れて、違う現場で異なるアプローチから、子どもたちをはじめとした人たちのために従事する人もいる。職種や業界が違っても、実は想いは同じであるということも多々ある
 ケアの現場に携わったことのある人なら、その想いや原動力に触れた時、まるで自分のことを言語化してくれるような体験に出会った人も多いだろう。その想いに感動し、涙が出そうになるくらいの経験をするなかで、「また明日から頑張ろう」と思えるような経験をした人もいるだろう。
 ここでいう「子どもをケアする人をケアする」とは、子どもをケアする人たちが、他の子どもやさまざまなケアに関わる人たちや、異なる業界でも同じような想いをもちあわせている人たちの、想いや原動力に触れる中で、「また明日から頑張ろう」と思えるというエンパワーメントされるような、ケアに関わる人たち同士の支え合いを指している。
 どうしてこの世界に関わろうとしたのか、どんな壁や課題にぶつかりながらも、この先の何に希望を持っているのか、その人はどんなふうにしてこれから生きていくのか。そうした想いに触れることが、子どもをケアする人たちがつながっていく。
 そのゆるやかなつながりこそが、「子どもをケアする人をケアする」ものになるのだと思う。

4 私がやりたいこと

 私がやりたいのは、こうして地道に現場で想いを持ちながらも、葛藤し、迷いながら、自分なりの関わり方を続けている子どもをケアする人たちを取材し、その人たちの想いを後世につないでいくことだ。その考え方や価値観、そのものが他の子どものケアに関わる人のことを救ってくれるはずだと、信じている。
 だが、こうした人たちの想いに触れるためには、まず私自身の想いについて、言葉にしていく必要があるだろう。
 このnoteでは、今私が行なっている活動について、どんな経緯や想いがあるのか、そうしたことを自分で言語化していきたいと思う。少しでも、他の人たちにとって「明日もまた頑張ろう」と思えるような記事になればと願っている。


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