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東日本大震災後の浪江町の現在地

東日本大震災の11年後の浪江町行ってきました。

たまたま仙台出張のタイミングがあり、本来ならその翌日東京で面接対応があったのですぐに東京に戻る予定だったのですが、面接が無くなってしまい、偶然空きスケジュールが出来たので、浪江町に行ってきました。

なぜ浪江町??って思うでしょう。。

浪江町は東日本大震災で大きな影響を受けた町です。

浪江町は、福島県浜通りに位置し、双葉郡に属する町。 町内東部の請戸漁港 は、福島県の最東端にあたる。 2011年3月11日、東日本大震災で被災。揺れや津波による被害に加えて、震災により発生した福島第一原子力発電所事故の影響を受けて、同月15日以降、仮役場が同県内の二本松市に設置され、多くの住民が移動・避難した。

ウィキペディア

ちょうど、仙台支社の立ち上げの際に、仙台訪問中に大きな地震があって、「まだ仙台は東日本大震災の記憶が新しいんだ!」と驚いたとともに、その仙台に頑張って支店を立ち上げると決意した経緯があり、一度、浪江町に訪問したかったというのがあります。

ただ、「Youtubeには多くの人が支援に現地入りし、それらを支えるお店や人混みが映っていたので、町は復興しているんだろうなぁ、、、B級グルメの ” 浪江焼きそば ” 食べて帰ろう」 と軽く考えて、昼ご飯抜きで軽い気持ちで訪問しました。

電車3時間かけて浪江町到着!

東京から仙台まで新幹線で90分なので、1時間ちょいで到着すると思ったら、電車の本数が少なく、しかも単線のため待ち時間も発生。11時40分の電車に乗ったら、14時30分に到着するという恐ろしく時間がかかりました。

駅にあるサイン

浪江駅のホームには 多くの人が訪れただけあって、たくさんサインもあり、何だか多くの人が支援してたんだぁと実感しました。それと同時にどれだけ復興しているのか、、とても期待していました。

驚いた街の様子

しかし町を散策すると、町を歩いている人が誰もいません
道を走る車もトラックがとても多く、3台に1台はトラックが走っていた。
流された家はそのまま空き地のまま放置され、残った家も空き家ばかり
「浪江やきそば」を食べるどころか開いているお店も無い。。

町の警察署に訪問して、「お昼ごはん食べれる場所、ありませんか?」と聞いたら、困った顔して「無い」と一言。

街の様子

銀行も閉鎖されたまま残り、2時間歩いたけど、セブンイレブンを見つけただけ。やっと、駅前に住民に開放されているスペースを見つけて、そこで休憩させてもらいました。
そこを管理している青年が言ったセリフが衝撃でした。

最初はたくさんの人が訪問してくれて、とてもにぎわっていたのだけど、
10年経つと訪問してこない(駅の乗降者数も住民含め1日50人程度)。。
訪問してくれる人が激減して、それに伴ってお店も無くなって、住民も戻ってこない。。
でも駅前の再開発で有名な建築家 隈研吾が設計してくれて施設を作る計画なんだ。住む人がいないのに。。。

話した内容

正直、絶句しました。。

また、やってしまった。。。表面的な知識、現場の現実を知らないまま、勝手な妄想で「浪江やきそば」食べたいなんて。。。
とても恥ずかしく、そして申し訳なかった。

町も、会社も、チームも生きているんです。

そういう当たり前のことに改めて気が付きました。
きちんと見ないとわからないことがある
経験しないと気が付けないことがある
仙台支店を作って3ヶ月。7名の社員が働いてくれていますが、浪江町を訪問して改めて教えられました。。


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