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小塚原処刑場跡地で起きた不思議な話


南部です。

友人とふたりでサブカル部という活動をしているが、私も友人も社会不適合者で根暗で友達が少ないので部員が一向に増えない。

そんな我々が小塚原処刑場跡地へ行った時の話である。
先に断っておくと、我々は「おーこわーい」「おばけ出るかなぁ⤴︎」的なノリは一切なく、普段あまりスポットを浴びない歴史や文化に、率直にロマンを感じているのだ。

小塚原処刑場は、江戸時代から明治初期に存在した処刑場であり、駅前のにぎやかな通りの近くにいきなり現れる。
当時身分の低い罪人達(とはいえ当時のシステムであるから、冤罪などたくさんの悲しい思いを持って亡くなった人が多いのだろう)が処刑されていた場所で、周辺には骨や遺体が転がり、埋葬なんてしてもらえず、野犬やイタチが遺体を食い荒らし、異臭が立ち込めていたのだそう。そんな惨状に心を痛めたお坊さんが祀った場所である。当時の幕府に逆らった吉田松陰もここに眠る。
土を掘れば人骨が出るそうで、骨が原(こつがはら)→小塚原(こづかはら)という名の由来があるほど。(諸説あり)

そこに友人と足を踏み入れた途端、肩から指先にかけて何十人もの人がぶら下がっているような生々しい重みと、足には、おびただしい数の頭部をかき分けて進むような違和感と重みを感じた。
しかしそんなオカルトなノリは私たちにはあまり無いので、友人には特になにも言わなかった。
しかし友人、敷地内に足を踏み入れてから様子がおかしいのだ。何も言わないし、入口付近から奥へ入っていこうとしないのだ。私は生々しくのしかかった肩の重みにどうしても耐えきれず、「なんだか空気が重いね」とだけ言うと、たったひとこと「yeah」と返ってきた。


友人は日系アメリカ人なのだ。


その後敷地を出ると、彼は心ここに在らずという感じで、しきりに「寒い、鳥肌が止まらない」と言うのだ。季節は木々が秋に色づいてくる頃で、涼しさはあれど鳥肌など立つ季節では到底ない。
「少し休もうか」「私は肩が重い気がした」「サイゼとカラオケとボウリングが同じ建物にあるとか、ヤンキーの天国かよ?!」いろいろ話しかけるのだが、全て「yeah」で片付けられてしまったのだ。

そのあとしばらく2人で何もいわずに黙々と歩き続けた。
お互いにショックだったのだろう。
悲しい歴史と、人間のむごさと、確実にまだ成仏できていない魂と、その場所に染みついてしまった恨みつらみ悲しみ恐怖の念。全てダイレクトに感じてしまった。

どうしてだろう、いくら歩いても方向を変えても、絶対に処刑場に戻ってきてしまうのだ。これはさすがに怖かった。
きっとメッセージがあるのだろう。心の中で「ごめんなさい、私にできることはありません。成仏してください。」と言い、歩き続けると、隣町に出た。

そしてまた隣町へ。

友人の口数も少しずつ増えてきた。

そして、ローカルな居酒屋さんで一杯やって解散しようということになった。
ピッタリのお店が目に入り、満場一致(2名)でここにしようと入ったお店がもう大当たりだった。

江戸っ子気質な女将さんが、タバコをふかしながら全てのお料理を手作りしてくれた。
ここがもう何を食べても本当に本当に美味しくて、また別の機会でぜひご紹介したい。。

そしてお店の人もお客さんも、皆温かく、楽しく私たちと話してくれた。

そして皆で楽しくお酒を飲みマジで美味しいお料理に舌鼓を打っていると、お店にかわいらしいおじいさまが入ってきた。
物静かな雰囲気だが、お話しするともうめちゃくちゃ面白い。古客なんだそう。
そのご老人は、お酒もほとんど飲んでいないのにいきなり立ち上がり、おもむろに友人の腕を掴み、マッサージしたりぶっ叩いたりし始めたのである。
女将さんに「あんた!若い子に触りたいからって!やめなさい!」と怒られてしぶしぶ座席に戻ったのだが、数分後トイレに行くふりをして、「最後もう一回だけ肩のマッサージをしたいんだ」と言って友人の肩をポンと押した。目がマジだった。
そしてそのまま帰っていったのである。

そして私と友人もお店を出て、女将さんの作る絶品料理の感想を述べ合い、幸せな気持ちで駅に向かって歩いていた。すると友人がひとこと、

「お店を出たら鳥肌もなくなって肩が軽くなったんだよね。」



あのご老人には、何かが見えていたのかもしれない。



終焉

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