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コロナ禍で起きている BLACK LIVES MATTERデモから考えさせられたこと

みなさんご存知かと思いますが、先月末にミネアポリスで起きたGeorge Floydさんの事件を受けて、アメリカのみならず世界の都市でBLACK LIVES MATTER のプロテストが行われています。
この記事に使っている写真は全てマンハッタンに住む私の友人Rik Nagelがピッツバーグで行われたデモ行進で撮影したものです。
亡くなった当時46歳だったGeorge Floydさんは、2メートル近い身長がある穏やかな性格な人だったらしく、周囲の人たちからは"GENTLE GIANT (優しい巨人)"と呼ばれ親しまれていたそうです。
警察へ通報された理由は使った$20札が偽札だったから。警察が駆けつけ、最終的に地べたに倒れたFloydさんの首を膝で押さえつけて窒息死に至らせたこの事件、Floydさんは警察に暴力的な態度をとったわけでも武器を持っていたわけでもなかったそうです。

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繰り返される罪のない黒人の死

私がこのニュースを聞いた時、実は最近起きた事件ではなくて、2014年に起きたEric Garnerさんの事件の話かと思いました。
Eric Garnerさんも当時ニューヨークでタバコを売っていた所を警察に尋問され、連行されそうになった所を抵抗して、そのまま首をホールドされて窒息死させられました。その時Garnerさんは11回も"I can't breath (息ができない)"と訴え続けた、と聞いたのが頭に残っています。
今回のFloydさんも同様、首を膝で押さえつけられて "I can't breath"と訴えましたが、その警官は止めることなく、Floydさんは亡くなってしまった。

ちなみにGarnerさんを死に至らしめた警察官は解雇されたものの逮捕はされていません。また、Floydさんの殺害にあたった警察官は解雇され逮捕されてますが、Third Degree Murderといって至って軽度の悪気はないのに殺してしまったというような罪にしか問われていません。そして周りに一緒にいたが止めなかった警官達は何の罪にも問われていません

このFloydさんの事件の前にも、今年2月ジョージア州でランニングをしていた黒人男性Ahmaud Arberyさんが白人の親子に銃殺され、それから2ヶ月以上経ってもその白人親子は罪に問われていないというニュースもありました。ちなみにArberyさんも武器を持っていたわけでもなんでもなく、ただジョギングをしていた時に「不審者」と決めつけられて銃殺されたそう。

また、つい最近、セントラルパークでバードウォッチングをしていた黒人男性と口論になった白人女性が警察に通報したニュースもありました。このニュースはコロナ禍の打撃を一番受けているブラックコミュニティに対して強い憤りを与えました。

そこへ来てGeorge Floydさんの事件…多くの黒人たちが "Enough is enough (もうウンザリだ)" "We are exhausted (もう疲れ切った)"と訴えて変化を求めることは全く無理がないことだと思いました。

しかもこの非情な事件は全部氷山のほんの一角でしかないんですよね。黒人の人達は100年以上この同じ問題と向き合い続けているんです。警官に止められたら、SirやMa’amを語尾につけて礼儀正しくしなさい、とか、絶対に走って逃げてはいけないとか、小さい頃から黒人であるがために怖がりながら生きてこなきゃいけなかった。
そのとてつもない絶望感に対して、不勉強だった自分を恥ずく思うと同時に、きっと自分の元にまで届いて来た彼らの強い願いや意思は今まで以上に膨れ上がっていて私を含む多くの傍観者達を動かし始めているのではないかとも思います。

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平和に育った私達にできること

デモ行進を撮影した友人は白人ですが、このデモ行進に関して、警察が現れて催涙ガスを撒き散らすまでは平和的な行進だったのに、と書いていました。また、星条旗を火にかけるなどして暴力的な表現をするのは白人の若者がほとんどだったそうです。

この問題に関して、私はあまり意見を言える立場でない気がしてしまうのですが、この問題に対する「関心の持ち方」についても何が正しいのか賛否両論な気がします。

人種を問わず、多くの人たちがこの問題に関心を持ち、サポートし、デモ行進にも参加をしていることは大事なことだと思います。
その一方でSNSなどでは黒人たちからの投稿でよく目にするのが "I am shocked is not enough (ショックを受けた、だけじゃ足りない)"ということ。
それに対して白人から「何でショックを受けたという事を責められなきゃいけないの?ショックを受けたことは本当なのに」という多くの声が上がっていましたが、黒人の彼らからしてみれば、自分たちは生まれた時からこの問題と向き合ってるのにまだショックを受けてるのか、という事だそう。
確かに、この問題はアメリカでは今生きている世代のずっと前の世代から続いていて、未だに改善されていない問題なわけで。繰り返される罪のない黒人達に起きている殺人を「ショッキングなニュース」としてだけ受け止めている限り、人の意識は変わらない、黒人達にしてみれば、一体いくつ犠牲が出れば変わるんだ、ということなんだと思います。
そして、これは今まで平和にヌクヌク育って来た自分へも言えてしまう事だと思いました。

私自身、アメリカでも恵まれた環境にばかり身を置いて来て、黒人への不公平な状況を目にするのはニューヨークに来るまでありませんでした。
ニューヨークは本当に人種の坩堝という名前に相応しく、色んなバックグラウンドの色んな人種の人たちが暮らしていますが、一部の人を除いて下級階層はやはりほとんど黒人やラテン系の人たちです。
初めてニューヨークへ越して来た時、歴然としたステイタスの違いに胸が痛みました。
同じ場所に住んでるのに、こんなに違うのか、と。それを毎日目の当たりにしながら生きてきた人達はどう感じるのか、想像もできません。自分がその中で生まれ育っていく事も想像が出来ません。
その上、自分がある人種だから、と言うだけで、真面目に生きているのに命にまで関わるリスクが付きまとってしまう
正直あり得ないと思います。

今回コロナウイルスでニューヨークでも一時期中国人差別が起こり、「アジア人だから」と言うだけで暴行を受ける人が出てくるなど、緊迫した空気になった時がありました。
私はそれに対して「日本人なのに!」とか「予防対策全部してるのに!アジア人なだけでそんなふうに扱われたくない」と思っていましたが、そんな事とは比べものにならないくらい根が強く終わりが見えない絶望的な状況の中で一生生きていかなければいけない人達がいると思うと、本当にこのデモ行進は起きるべくして起きてしまったんだと思いますし、これが起きなければ私みたいにヌクヌク育った人たちには気付けなかったような問題なのだと思います。
そう思うと本当に申し訳ない。

SNSなどで訴える投稿をしている黒人達が「ショックを受けたなら何か行動を起こしてくれ。この問題について調べたり、人と話し合ったり、団体に寄付をしたり、何か行動で示してほしい。」「関心を持ってくれたなら黒人達の歴史について自分で調べてくれ。本を読むなり、ドキュメンタリーを見るなり、何でもいいから自分から調べて学んでくれ。」などと話していました。また、サポートしてると言いながら実際は黒人に対して一種の偏見がある人達も大きな問題だと言います。自分の中や周囲の人たちの中にそんな偏見があるのなら、まずはそこから無くす努力をする大切さも耳にしました。
少なくとも、まずは関心を持って、自ら学び、その人達の身になってこの問題について考え、話し合い、伝えることは私たちが今すぐに出来ることだと思います。今後私も学び続けることで少しでも寄り添えればと思っています。

最後に、どんなに長く私が記事を書こうが、実際に黒人達が話す言葉に勝るものはないので、胸に響く動画に日本語字幕をつけて拡散されてる方のツイートをシェアします。

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