見出し画像

なんかこれすごい大事なことだと思う。

Yes, to me being me
"本当のわたしを生きよう"
こんにちは
永松麻衣(ながまつまい)です

そうそう
昔は尖りまくっていたけど
やることはやっていた

好きなことだけをやってきたけど

好きなことを好きなだけやるために
勉強はめちゃくちゃ努力した
いつも一番とってた

だって嫌じゃないですか?

あいつは校則も破って
大人の言うことは聞かないで
自分の正義だけ貫いて
勉強も出来ん
口ばっかりなやつだ

なんて言われたくなかった。

というか
わたしはわたしの
本当の人間性を見て欲しかった。

なんで成績優秀者が良い子?
なんで校則違反したら悪い子?

なんで言う事聞く子が良い子?
なんで自分の意見を言う子が悪い子?

そんなのおかしくない?
それだけでその人判断できるの?

その人を構成しているものって
それだけじゃなくない?

点数つけて可視化できるものだけじゃないでしょ?

って本気で思ってたから
それを体現するために、
自分の意見を
信念を貫きたいからこそ

好き勝手
好き放題やるんじゃなくて
筋を通す

やるべきこと
みんながやっていること
(その当時は学生だったから
お勉強が学業ですよね)
はしっかりやる。

みんなと同じ努力しても意味がないから
学業だって
ずば抜けてやると
心に誓っていた

それは自分との約束だったなと
意識もしてなかったけど

だけど強い意志はあった

今思い返せばそう

自分の意見を正面からぶつけるために
必要な材料は全部揃えていたな

外見で判断されるのも嫌だったし

そんな強い意志が生まれたのも
人を信じれなくなった
強烈な体験をしたから

わたしはもともと
優等生、特待生で
私立中学に入ったのだけど

あるとき
自分の意思ではないことに
気づいて
猛反発して道を踏み外した

その時に人の反応が180°変わった事を
13歳半ばで体験した

本当の自分の心の声を悟ったのが
中学一年生後半。
そこから何もかもが一度わからなくなって
親を責めて
親に反発して
猛烈な反抗期が始まる。

わたしはいわゆる"不良"と
いう人たちと仲良くするようになって
だってその子たちのほうが
本当の意味で
あたたかかった

わたしをわたしのまま
受け入れてくれた。

この人にメリットがあるから付き合うとか
その人の表面につけられた
ラベルに
引き寄せられて仲良くするとか

そんな損得で人を見るとか分からないからさ。

好きだから好き。
わたしにはそれしかなかったのだけど、

進学校というのもあったからなのか

あの子はお勉強ができる
優等生
良い子
先生にも気に入られている

あの子と仲良くしていた方が
のちのち都合が良い
的な。

わたしは先生に気に入られようと
振る舞っていたわけではないし
評価がほしいから
勉強していたわけではないけども

そう見えていたのだろうか。

話が少しずれたから
戻そう。

そう、わたしは心地よかったから
わたしをラベルじゃなくて
そのまま受け入れてくれたことが
ただ嬉しかったから
"不良"と言われる子たちと仲良くした。

そしたら、
今まで仲良くしていた子たちからは
白けた目で見られるし
態度がだんだん変わってきた。

まぁそのくらいはそこまで気にはならなかったけど、

その当時の13歳後半のわたしは
色んな意味で複雑だったから
親への反発心や反抗心ね

なんであんたの敷いたレールを
おりこうさんに走らなきゃいけないんだよ

って気づいたばかりだったから
とにかく混乱していたのも事実。

だからあるとき大きな校則違反をした

それが学校に見つかって
約2週間の停学処分を受けた。
(中学で停学とかもありえないんだけどね)

特待生を外されて、
停学処分になったわたしは

ただの永松麻衣だ。

その途端に、
いわゆる仲良くしていた子たちは
綺麗に離れていった。

かと思うと、
停学処分が終わるか否かの頃になって
手紙が靴箱の中に届くようになった。

麻衣ちゃん大丈夫?
早く戻ってきてね。

と。

でもわたしは
鼻で笑った

だって知っていたから。

今まで仲良かった子たちが
わたしが道を踏み外しはじめたら
そのことを全て
先生に、学校側に伝えていたこと。

影でわたしのことなんて言ってたかも
全て知ってる。

なのに手紙?
仲良くしよう?
もう余計分からなくなった
人が。

しまいには親御さんたちの色々も。

優等生だった時のわたしに見せた親御さんの言葉や表情と

地に落ちたわたしに見せた親御さんたちの
言葉と表情

天と地ほど差があった

そこでまた人に絶望した
大人が嫌いになった

だけどね、
一つ誓ったことがある

この人たちを絶対見返してやるって
心に誓った。

悔しかった。

わたしのどこを見て
何を判断してるんだよって。

それがわたしの尖りの始まりなのかもしれないね。

すごく悔しかったことを覚えていると同時に
ある意味
表面的なものでどれだけ判断されるか
ってことも良く理解した。
痛いほど分かった。

だからこそ
やれることは全てやった。
全部。

わたしの内側を見てもらうために、
外側の努力を怠らなかった。

それはいわゆる外見ではなくて、
わたしのラベルでしか見なかった人たちにとっての、ラベルの部分を磨いたってこと。

だってラベルで判断している人たちに
いくら中身を見せても伝わらないから
本当の意味でその人たちを見返すためには
その人たちが一番重要だと思ってる
ラベルを磨かないと
本当の意味でその人たちを脱帽させることはできないでしょ?

だから
お勉強ね。

わたしはまた優等生に戻りました。
1番の進学校への入学も決めた。
だけど一番面倒な優等生だったと思います。

見た目はギャル(これはわたしが好きなわたしを貫き通すための当時の一つの表現方法)
中身は優等生(自分の中の信念みたいなものの表れ)


見た目も中身も優等生ってわたし的には全然面白くなかったのです。

だってそれはまた、
昔の優等生のわたしに戻ったことにしか
変わらないじゃないですか?

昔のわたしとは違うというか
これがわたしなんですよ

っていう。

あなたたちの大事なラベルも持ってます。
だけどわたしを構成するものはラベルだけではありません。

その両方を見た上で
あなたたちは
わたしをどう判断しますか?

って
その反応見たかったからね。

あとは
そこに収まってしまうこと自体が
問題だと思っていたから。

自分の中にある
世の中に対しての
問題提起を

行動と態度で表現した結果が
それだったということです。

それはある人から見れば
バカバカしくもあり
幼稚なことでもあり
理解不能なことなのかもしれません。

重要なのはそこではなく
自分の志を貫けるかどうか
そこに説得力があるかどうか。

やるなら全身全霊全力で、
振り切れるだけ
振り切る

中途半端は
一番分からんからね。

どれだけ目の前の
壁とだとも思わない壁を
ぶち破れるかどうか

それが尖りなのかなと。

なんかそう思うと
今のわたしって
振り切れてないのかもね。

またあした。

らぶ&はぐ

Yes, to me being me.
"本当のわたしを生きよう"

公式ライン登録はこちら
薬草茶定期便はこちら
吉祥寺のサロンの詳細はこちらから

この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?