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Day9 日記を右手に、本を左手に

ここまで日記と本について書いてきました。

日記サイドの私の連載は、大まかに分けると、カメ島パートと、スコープパートに分かれています。

🐢カメ島Part

私たちはカメ島に乗っている(Day2)
日記でカメ島の地図を作る(Day3)
日記で情報からの防波堤を作る(Day4)
防波堤によってカメ島の生態系が栄える(Day5)
📚スコープPart

日記とは積読である(Day6)
日記と本は自分のスコープの存在を教える(Day7)
スコープを動かすのは「重なり」と「ずれ」である(Day8)

日記サイドの連載は今回が最終回です。

今回はカメ島とスコープについて考えます。

(スコープは前回も書いたように、自分の価値観やテーマ、主観、先入観、アイデンティティなどの範囲というイメージです)

この連載では、カメ島とカメ島に乗っているわたしがいます。

そして、カメ島にもスコープがあり、その上に乗っているわたしにもスコープがあります。

カメ島パートでは日記を書くことでカメ島を深く知り、防波堤を作り、生態系を育みました。

カメ島に防波堤を作ることは、カメ島のスコープに対する外からの情報(ニュース、SNSなどなど)の影響を抑えることでもあります。

つまり、カメ島パートで行ってきたことはカメ島の上に乗っているわたしが、日記を活用し、カメ島のスコープを少しでも調律する、そのための手順だったともいえるでしょう。

カメ島の調律を通して、カメ島を知り、カメ島を知ることを通してわたしを知る、そんなプロセスです。

そして、スコープパートです。

本と日記でスコープに触れ、揺り動かすことができます。

スコープを動かすのは「重なり」と「ずれ」です。

日記と本は、私たちのスコープと重なり、ずれていることで私たちのスコープを動かします。

さて、スコープが動いたとしても、スコープ内のものを完全に理解できるようになるわけではありません。

スコープを少し広げます。

たとえ、わたしがあなたのことにどれだけ思いをはせたとしても(スコープに含めたとしても)、あなたを完全に理解することはできないでしょう。

でも、あなたを少し知ることができます。

そして、あなたを知ることを通して私をみることができます。

その中であなたと私は違う、そのことを知るでしょう。それもまた、私を知る一助になります。

スコープを広げます。

宇宙に思いをはせてみます。

宇宙に思いをはせたとき、私たち個人にとってはどんなに大きい出来事も、きっと、とても小さく見えるでしょう。

連載の最初にCovid-19の大波が押し寄せていると書きました。

しかし、カメ島に押し寄せるそんな大波も、宇宙から見れば単なるさざ波に、もしかしたらさざ波にすら見えないかもしれません。

スコープを広げること(それがたとえ思い通り動かなくても)、スコープを動かせることを知ること、スコープに入ったものに思いをはせること。

それは自分を知り、他人を知り、他人を通して自分を知る、そんならせんを巡ることです。

そのらせんに魅せられるとき、きっと人は日記を、読書を、やめられなくなるのでしょう。

そんならせんに魅せられて、私は今日も日記を書き、本を読みます。

それでも私自身を完全に見通すことはできません。一生かかってもできないでしょう。

群盲象をなでるといいますが、今もどこか一部をなでて、分かった気になっているだけなのかもしれません。

だから、今日もきっと、新しい発見が待っています。

日記を右手に、本を左手に、カメ島と一緒に航海を始めましょう。

あなたの旅がよいものになることを祈っています。

それでは良い旅を。

Bon voyage.




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この記事は倉下さんとの共同連載です。

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