Day6 日記とは積読である
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前回、生態系が栄えることで自分自身の指針、シンボルとなるものが出現すると書きました。
ここでシンボルとはなにか考えてみると、日々を過ごす中で大事にしたいこと、指針、自分自身のテーマとも言えます。
そう、テーマです。
どこかで聞いたような気がしますね。
ここで少し『読書と日記の話』の「読書」とつなげてみたいと思います。
読書のテーマは積読の中から生まれました。そのテーマは自分の興味関心、生き方などに関わってきます。
本を読んでいく中で、読書のテーマを見つけるということは、ある意味本という「他人」の中から「自分」をあぶり出すことともいえます。
自分の外側から少しずつ範囲(スコープ)を縮めて絞り込むイメージです。
では日記の中から自分のテーマはどのように出てきたでしょうか。
日記により防波堤を作り、生態系が栄えることによってです。
自分の内側から出てくる感情、想い、そうした様々なものを日記につづり、読み返すことによって出てきました。
それは自分の内側から、外にスコープを広げていくイメージです。
読書は外側から、日記は内側から自分をあぶりだす行為といえるでしょう。
もし読書日記を書けば、読書をして感じたことが日記としてつづられ、その日記からのフィードバックが自分に返ってきます。
それはまた読書のテーマに影響を与えるでしょう。
読書⇔自分⇔日記というスパイラルが形成されます。
さらに、あえて言うのであれば日記をつづることは積読することです。
日記をつづり、日記帳を毎年積んでいくということは、ある意味積読を増やし続ける行為でもあります。
あなたがもし日記を書いていれば、いつの間にか「積読」していたのです。
日記=積読であるならば、日記を読み返すことは、むしろ当たり前と言えるでしょう。
日記を読み返すということは「積読」を崩すことでもあるのです。
こうして「読書」によって、「積読」によって、自分のテーマが浮かび上がってきます。
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この連載は倉下さんとの共同連載です。
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