見出し画像

日出処の天子

本稿は『LaLa』1980年4月号から1984年2月号、1984年4月号から6月号に連載された。単行本は花とゆめコミックスから全11巻、角川書店あすかコミックス・スペシャルから全8巻が刊行された。

厩戸王子(聖徳太子)と蘇我毛人(蘇我蝦夷)を中心に、主人公である厩戸王子が少年時代を経て、摂政になるまでを描く。

我が小6から中学生、高校にあがるまでに期間の連載期間である。

当時、我の父親が父親の実家に帰省した時に従姉(父親の兄の娘)が母屋に住んでおり、大量の少女漫画を購読していた。主に単行本であれば講談社のKCなど。雑誌であれば白泉社の「花とゆめ」や「LaLa」など。
もう読んでしまって廃棄対象のそれらを毎月のように持ち帰っていた。我が好奇心旺盛なマンガ好き・サブカル女子だったからである。

遊びに来た当時友人T氏が、何気に標記の連載を読んで何やら衝撃を受けていた。そこで我もそんなに面白いのか、と興味を持ち読み始めたのがキッカケ。まんまとハマった次第である。

村上春樹氏の奥様の陽子様も当作品にハマり、関東からわざわざ奈良・法隆寺に参拝する、というのもエッセイで読んだ。
山岸涼子氏の絵柄が素晴らしく、ストーリーもミステリーと恋愛、史実も織り交ぜられており、巧である。なんせ全く子供を馬鹿にしていない。本気のタッチである。

高校の時は、何もかも嫌になり、学校をサボって法隆寺に行き、夢殿や弥勒菩薩を観て感動し、また、やさぐれた高校生に戻る、というヘンテコな女子であった。当該のT氏はこの漫画を機に日本史にハマり、京都橘大の史学科に進んだ(面接では「友達の家で読んだ漫画が好きで…」みたいに言ったらしい。)

そんな思い入れ深い法隆寺であるが、すっかり忘れていた昨今、思わぬ再訪を果たした。某グループのミステリーツアーの2日目に奈良の東大寺・法隆寺があったのだった。

我は奈良の西大寺で生まれた。多分奈良医大付近で出生した。3歳までは西大寺にいたため奈良公園にはよく訪れていたらしい。幼き頃の写真ではそう示されている。鹿が大好きなのもその影響であろうか。

法隆寺はすごく綺麗にリニューアルされていた。ボランティアガイドの方の説明も丁寧で聞き惚れた。

梅原先生のトンデモ説で有名な百済観音にも見惚れて、畏怖の念を持った。
実物は、顕かにパワフルなオーラを帯びていた。何もかも見透かされるような怖さを秘めていた。

ガイドさんから、法隆寺は、聖徳太子がお父さんの病気も祈祷・祈願のために建立したんですよ、とも聞いた。また、夢殿など、昔の「大学」みたいに勉強するところであったとも説明があった。

我は今賢くなりたい病なので、太子の知恵の恩恵に預かりたいと考え、御朱印長(檜でできており良い香り・表紙は夢殿)も購入し、御朱印も頂いた。
「和を以て貴しとなす」と書いていただいた。我は御朱印をいただくのも初めてであった。御朱印をいただくのをおすすめしてくれた旅のお供・東京のJ様には感謝である。

久しぶりに「日出処の天子」を思い出し、ほろ苦い・喧嘩別れした幼馴染を思い出し、ああ、我はちゃんと大人になったものだ、と感じた次第。

本紙で、我は日本史の少しの期間のことはめちゃめちゃ詳しくなったのだ。
山岸先生、ありがとうございます。一生、厩戸皇子のことは愛します。

また法隆寺に行こう。何度でも百済観音や弥勒菩薩を堪能しよう。
それらは決して色あせないでそこにおられる。1200年もそこにおられたのだから。我々は思い立ったら、すぐにでも、太子をそこに感じられるのだ。

この記事が参加している募集

一度は行きたいあの場所

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?