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承認欲求について

自分の中の自分(の声)がとても弱くて小さいんだ、と思ったので記す。

私は所謂毒親母親の庇護下で育った。母親と長女の関係については、他で色々な経験と学識的見解に基づいて、諸々の記事が読めるであろうことが推測されるので、詳細は延べないが、私もご他聞に漏れず、母親から疎まれ妬まれ系の責任感溢れるしっかり者長女である。

本件は随分と解決を試みたし(各種セラピー・占い・自己啓発・アロマ・スピ・カウンセリング)、もう忘れていた・解決したと思っていた。自分の出自を考えた時に「そいえばそーだったな」くらいの感じ。
しかし、母親から大事に育てられた人とそうでない人の違いは、歴然と、決定的にあるし、埋められない。私は依然にやたら人の顔色伺うし、頼られる割には人の輪の中にすんなりと入れない。自分のキャラ設定は謎であるし、挙動不審であり、何かできないことがあるとき(例えば職場変わったり新しいことを始める時)あんまり周囲が甘やかしてくれない。お前はもう既に分かってるだろうと言う体で接せられる。だから、早急に場に馴染むために、頑張る。努力する。努力は慣れているのだ。

そんな私は、昨年新職場に入って来月の3月で6か月になる。まだまだ新人であるが、概要は掴めた感じである。幸いにも同僚には恵まれ、職場環境は快適である。

上司は、切れ者で、私より12歳年下男性(元ラグビー部)。干支が同じ(草)。
営業の達人で早くにプロモートした統括次長。
この上司が私の直接のレポート先である。この上はもう社長になっちゃう。

私はローカルブランチ勤務で、採用・所属は関東にある本社だ。これは会社としては初の試みなんだそうだ。優秀な人を取るには色々なバリエーションを持って採用しないと生き残れないと社内通達があったそうで、(さほど優秀ではないが)私が採用され、遠隔地である関西勤務となった。自宅から2駅という便利さ。思わぬ僥倖である。

まぁ、遠いとは言え同期もいるし、支店は賑やかで親切であるので、毎日機嫌良く出勤している。週休3日がトレンドとなろうとしている昨今、超(古風な)日本企業よろしく完全週休2日制である。当初意味が分からなかった。
完全週休2日制というのは、つまり祝日があったら、他の土曜日が出勤となるのだ。つまり今日は出勤日。有給取る人も多くてオフィスは3名しかいない。私はまだnew comerなんで有給休暇なんぞ無いので、出勤組です。

日々仕事しているとボスと同行し客先訪問もあるし、確認事項・報告事項も発生する。
主にメールで伝える。私の「報・連・相」ツールはメールである。あまり電話は好きじゃない。だって相手の状態わかんないじゃん。

しかし、周りのみなさん、ボスを含めて電話大好き。まるで誰かと電話すること=仕事している、と勘違いしているようだ。
お客だったらまだしも、同僚(?)相手に延々の世間話もしている。大声で。私のメールの返事も電話でくる(爆)。

ボスもそうだ。ボスは情熱の熱量が高い状態で電話をしてくる。その内容はいつも私の予想だにしないことである。ビックリしないようにしているが。

しかも資料も共有もしていない状態で早口で話す(P社やS社では考えられない)。こっちはメモるだけで大変だ。聞き返すとプチ切れる。「お前わかってるやろ」スタンスでくる。

一方で、私が、何かの用事で電話すると大概外れである。塩対応される。たまらん。二日前の夕刻に、どうしても用事があり短い電話をかけた。

勿論、受話不可だったら別日にする所存であった。用件は3件。当該上司が忘れているだろうリプライ必要案件2件と地方でのテスト準備のご相談。
言うまでもなくメールでは共有済で返信が得られていなかったので電話したのだった。前者2件はリマインドだ。感謝されこそすれ、塩対応される所以などない。
かくして、めちゃくちゃ機嫌悪く、塩対応され、私は大変不快であった。

そうして私は「電話」というツールを葬り去った。比喩ではなく会社支給iPhoneを机の引き出しにしまった。客先や地方営業職からの着信は別として彼からの電話はガン無視することにした。私に用があるならメールでアポを取るが良い。
しかし、貴奴も絶対瞬間的・電話で話したいマン!!であるので、鬼電してくる。それでもスルーしていたら支店の代表電話にかかってきた。言うまでもなくこちらも塩対応である。やられたらやり返す。それが私だ。

怒っている時はアドレナリン出てるから良いのだが、当初、私は自分のミスを責めていたのだ。「何故彼は塩対応?私のどこが悪かったの?ねぇ、教えて。そして日々貴方の為に頑張っている私を褒めて承認して」と思っていたのだった。彼が気分を害したのはタイミング悪く電話をかけた私のせいだ、バカバカ。私のバカ、と。

これって、親から認められていなかった人の典型的なリアクションなんじゃなかろうか。

彼が気分を害したのは私のせいではない。彼が気分を害したのは己のせいだ。こっちは精一杯配慮したのだ。

承認欲求だった。はたと気が付いた。そこで冒頭の言葉に戻る。

誰かに電話してみんな誰かに自分の存在を知らしめたいのだ。話すことで許されたいのだ(一体何から?)。

私は続いて、本社の人事部長とも話し嫌な雰囲気になった。嫌なやつ・器が小せー爺さんだ。
1975年生まれの社長とは、入社時と変わらず機嫌良く話せた。セーフ。ここで塩対応されたら私の仕事へのモチベーションは地に落ちる。

とにかく私は、黙っている時の自分の心の声が小さくか細く、存在危ういみたいな危機にさらされていた。誰かに認めて欲しくなってたまらなくなった。
けれども、そんな時こそ、そんな自分に寄り添うべきなんだ。

最近読んだ本で「不安との付き合い方」みたいなタイトルで、こんな一節があった。不安は何とかできない。乗り越えることは不可能。不安は常にそこにある。恐怖心も然り。けれど、ただそれは「怖いだけ」のこと。
行動とは関係ないのだ。不安があっても恐怖があっても行動できる。

ただそれは「不安なだけ」「怖いだけ」なのだ。

今日は、地方のテスト現場で機械トラブルがあり、現地の営業職(格上)と電話で状況updateした。
先方(60歳男性関西人)は、「俺自分とそんな仲良くないで、うんうんと相槌うつのやめて」と言った。丁重に謝罪し、以後、言葉使いに気を付けて話した。
何やらモヤモヤした。モヤモヤの正体を突き止めて、震えながらショートメールを打った。「私のことを「自分」と呼称するのはやめてくれませんか」と書いた。
謝罪の電話がすぐかかってきた。そんなもんだ。お互いなんよ。コツはすぐやるねん。怖いけどさ。言われっぱなしは相手をバカにしてることなんよ。

私は謝罪電話をすぐかけてきたこの地方の支店長を軽く尊敬すらしたよ。(ちなみに彼は見た目及び仕事のやり方ともに北朝鮮の工作員風人物である)

私はアサーティブコミュニケーションをずっと避けていた。それが「できる大人」だと思ってた。自分が一段大人になり、何かあったら自分を下げて対応すれば上手くいく。でしゃばるな、目立つな、嫌われるぞ、と自分を戒めてきた。事務職女子の仲良しメンバーにはいれてもらえない。男からは舐められる。それが私だ。

だから、もう媚びるのはやめたんだ。どっちみち仲良くしてもらえないのだから、意識的に空気読まずにやってやる。
私は私の流儀で私のやり方でやらせて頂く。あとは何と思われようと、相手の責任である。

これは、まさに母親への承認欲求克服プロセスじゃなかろうか。

Quoraでタイムリーに記事を上げてくださっている有名な先生がおられましたので貼ります(こちらは読む価値有!!)

https://jp.quora.com/jiko-shounin-yokkyuu-ga-shii-nin-ni-ha-dono-you-na-tokuchou-ga-arima-suka

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