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誰かの望む自分に、誰かの決めた自分に、ならなくてもいいということ。

今月から、クラーク記念国際高等学校・宇都宮キャンパスの声優パフォーマンスコースを受け持っています!

高校生たちと触れ合って思うことがたくさんあります。
みんな本当に可能性の塊。
自分でも知らない自分がたくさんある。
少なくとも私にはたくさんそれが見える。

自分たちの可能性を、自分とはどういう人間なのかを、
今この段階で決めず、たくさん変化していって欲しいなと思います。

どんなに子供達の幸せを願っていても、大人はみんなが心配だからこそ、どうしてもどこかでその子の可能性を決めてしまう時がある。
「この子はこういう子だから」と、簡単に決めてしまう場合がある。
そこに悪気はなくて、「だからこうして接した方がいい」など、プラスに転じるための案を考えていたりする。
悪いことじゃなく、必要な時ももちろんあると思う。

けれど最初から可能性を限定してしまうと、その子はそこ以外に行けなくなってしまう。
勝手に周りが道を限定してしまう。
道を限定されたら、そっちに歩いてしまう。

これは子供に限ったことではなく、大人の場合も全く同じ。
パフォーマンスのチームだったら、チームとしての可能性をかなり狭めることになる。
会社だって、家庭だって、どこでだって一緒。

自分のことを決めるのが周りの人間になってしまうのは、恐ろしい。
それが当たり前なんだと、自分で決めることが出来なくなってしまうのは恐ろしい。
私はそれを実体験として知っているし、やってきたことがある。
それを知っている人生で良かったと思う。

誰かから見えているその人はあくまでその人の一面。
きっと本人だって気づいていない部分があるはず。
だからその場で目の前にあるレッテルを外して、その瞬間関わってみる。
そうすると、自分も知らないその人の魅力にも、弱さにも気付けたりする。
ずっとインプロで言われてきたことが、自分の中で少しだけ理解できたような気がする。

私はここに来るまで、色々な場所で素敵な芝居を学んできたと思う。
それは芝居のことでもあったし、人間のことでもあった。
この考えを持てているのは、間違いなく周りの人たちの影響。
役者として学ぶことは永遠に終わらないし、私自身もここからどんどん変化していく。
その都度たくさんの影響を受けて今の私が存在しているから
その時の私の全部を使って、少しでもプラスの何かを伝えたい。

「マイキーは、誰かの望むマイキーにならなくていいんだよ。」と言われたことがある。
その言葉で救われた気持ちを、嬉しかった・恥ずかしかった・混乱した・泣きたかった気持ちを、
今度は私が伝える番だと感じている。

教えることは教わること。
生徒たちに感謝している。

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