「坂本竜馬」資料で分かる実像は?「薩摩藩お抱えの佐久間象山塾生」
まず“竜”の意味
司馬遼太郎さんの小説の「竜馬が行く」の竜は存在する書状では使用されておらず正確には“龍馬”。この時点で暗に司馬さんは“フィクションでは?”という問いに逃げ道は作れてる。
たとえば「中泉総理は決断した」
こういう小説はありますよね?
明治の竜馬小説第一号の完全フィクション『汗血千里駒』が元となっていることは確認されており「十代まで寝小便で箸にも棒にもかからないが剣に目覚め飛躍する」云々。
つまり高知県民向けの新聞小説。そしてさらに面白く、と加筆までされている。
以下が、該当部分の引用。
眠狂四郎の円月殺法との類似 不可能に凄すぎることに気付くべき
剣が回りだすや一回転するまでに必ず相手は斬られる。楽しめはしますが嘘とは思う。この注意眼。
剣の道を究めた後は万国公法を学び海援隊を結成? そのために何が必要となるのか? 歴史家の加来耕三さんにいわせると
しかし十歳までは寝小便ばかりの見放された劣等生。このキャラクターの飛躍。
西洋砲術入門者として佐久間象山の塾に入った形跡はある。そこに「坂本龍馬」のサインはある。しかし北辰一刀流千葉道場門下の形跡は影も形もない。当時はそういうものはあるものである。
※つまり全編通じて現れる剣豪のくだりは完璧フィクション
脱藩前に姉は病死。それは墓碑で確認できる。
切腹などしていない。
坂本龍馬の真実はこんな感じかな?
「佐久間象山(しょうざん)」wikiより
その象山と交流が深いのが高島秋帆(しゅうはん)
「高島秋帆」wiki
ここで頻出するグラバー商会との関係。“長崎”に通じる
グラバーが関係を築きたかったのは佐久間象山、高島秋帆、勝海舟等。
長崎の高島秋帆の元で肥前の鍋島公も講義を受けている。肥前は西洋近代兵器購入に最も熱心だった。高島秋帆が核。龍馬が中心のはずはない。
グラバーは長州とも密接であり、長州五傑、伊藤や井上と英国の関係を取り持っていた。
これで龍馬の行動半径は長州とも江戸とも長崎ともつながる。
この象山人脈が龍馬人脈の核。
常にどこでも下っ端?ではありますが、フットワークは軽く行動的で親分たちから好かれている形跡はありますね。
そういえば自民党のこの方が頑張る「竜馬プロジェクト」って? いったい何を目指すのか、ぜひききたい。
※さらに平成初期に新資料!
鹿児島県のある農家の蔵から先祖所蔵の書状が見つかった。
探しましたが出ませんでしたが総合テレビで放送されていたようで。
手書きの相撲の番付表って言われてわかりますよね
それは旧自邸での西郷党の出席者の一覧。上下関係に厳しい時代なのでそれは上のような出席者表である
〇これでわかった!
竜馬「よお西郷ドン!」
西郷「これはこれは龍馬殿、遠いところをかたじけない」
ではない。
薩摩の使い走りだった可能性がほぼ確実になった瞬間である。
つまり使い走りとして彼を長州に送り、桂小五郎をなだめた。
桂は背後に西郷の影を感じつつ龍馬の言葉を聞いた。
口は西郷、眼は龍馬
となると、薩長同盟を画策して幕府打倒を仕組んだのはまったくもって龍馬ではなく西郷あるいは大久保利通。その一枚でここまで確定的に類推できる。
○薩摩は幕府である会津の京都見廻役と組み二つの変で長州を弱らせて追い出し、転じて長州と組み、討幕へと動いた。幕末は西郷と大久保、薩摩が完全に掌の平で転がしていた。
もう一つ龍馬について。グラバー商会でも佐久間門下でも勝海舟でももし本当に大物なら普通はどこかに居ついて幹部や執事や高弟になっていないだろうか?大物なので自由人とします?
ともあれ顔の広さと行動半径が龍馬の長所。そこに薩摩が目を付けたのです。しかし扱いはかなりの格下。
小説により、竜馬は受験戦争期の非エリートの心をつかみそういう人が支持したとされる。
他秋山兄弟についての史実。あの戦争は二人にかなりの心の傷を残してしまった。
真之は大本教に入信、好古はやや精神の乖離をおこしていたと半藤一利氏はいう。
良い悪いではなくまず史実。大本教が良いか悪いかはともかく、それで中将どまりになった。
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