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”仕事は大変で、プライベートは楽”は本当?

仕事なら嫌なことでも我慢するから大変だけど、
プライベートまで我慢する必要はない、
好きな人と好きなことだけして
プライベートは楽しみたい、
という考え方が一般的な気がします。

けど、実際には、
仕事では、
お金を稼ぐためということで
多少の苦痛は割り切れることが多いし、
一緒にいる時間も少ないから、
我慢することは簡単です。

一方で、
家族や恋人は、
長く一緒にいる上に、
経済的にも、健康状態なども、
全部自分に関わってきて、
自分に降りかかる責任もあるし、
他人なのに他人事には思えないため、
割り切りが難しいです。

だから、
仕事で出会う人は選べないことも多いけど、
プライベートでは人は選べるから、
そこで選ぶのだ、
と言うかもしれませんが、

親や子供は選べないし、
配偶者やパートナーだって、
決めた時点で選んだ人であって、
その後時間の経過や状況の変化によって
どのような人になっていくのかは
選べないのだから、
結局大して選べないのと同じではないでしょうか。

そして、根本的に人間は、
同じ価値観を持っている人より、
自分とは違う人間に魅かれてしまうことが多いし、
例え、似たような価値観を持っていたとしても、
全て自分の都合の良いように
動いてくれる人なんていないから、
仕事だろうが、プライベートだろうが、
誰かと過ごすことにストレスがかかるのは、
必至です。

だとすると、どう考えても、
そもそもプライベートの方がハードルが高いです。

それなのに、
仕事で我慢しているのだから、
プライベートまで我慢するのは嫌だと言って、
想定のハードルを下げてしまっているので、
親やパートナーに甘えたり、
子供を支配しようとし、
挙句の果てに離婚、絶縁、勘当など、
が起きてしまうのではないでしょうか。

最初から、
仕事より、
プライベートや家族の方が、
うまくやっていくのは難しいものだという
前提でいる方が、
かえって思い悩まなくてすむのではないでしょうか。

仕事だって、
嫌なことがあってやめても、
やはり生活のために
どうせ同じような嫌なことが起きることは分かっていて、
転職して他の仕事をするのだとしたら、

家族だって、
人が変わってもどうせ同じようなことが起きると思って、
今いる人とやっていく覚悟を決めてみては
どうでしょうか。

その時に、
個々それぞれに自由意思はなく、
自然現象として起きることが起きているだけ、
という真理が分かっていれば、

家族の問題を自分が何とかする必要はないし、
もちろん何かすることが起きるなら、
すればよくて、それに間違いはないし、
逆に、放っておいても、
起きるべきことは絶対に起きて、
起きないことは絶対に起きないのだから、
自分が何か責任感や罪悪感を感じる必要もありません。

私としては、どう考えても
過去、仕事をして、
子供一人シングルマザーで育ていた方が楽で、
今、外に働きには出ていないけど、
夫と夫の子供と私の連れ子などの
家族のことに関わることの方が、
大変です。
自分が働くことになっても離婚して、
自分と自分の産んだ子供だけのことをやっていく方が
楽なのは分かっています。
でも、私にとって、
必要なことが起きていると感じます。
苦しい時、
この世界が現実だと信じていて、
自分は自分だと信じているということに、
気付かされます。
自分にはまだこんな価値観が根強く残っているのだと、
気付かされます。
そして、まだこの現実に興味と関心を持っていることに
気付かされます。
そして、それらを手放して本当の自分に意識を向け、
平和と安心を選択し、
ありのままで完璧だと知ることができます。
自分の心はこの世界を見ることでしか、
理解できないのです。

この世界から何かが得られるのではないか
という期待がなくなった時、
逆にこの世界でどんなことが起きても、
平安を感じ、幸せであるのだと思います。

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