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#012 留年する原因は頭が良くないからではない|必見勉強法とは?--理系各員に捧ぐ

本シリーズは、①勉強頑張ったら選択肢が増える、②理系かつ高成績の方が選択肢は多い、③選択肢が多いと良い会社に入れて幸せになれるというよくあるお話の②まで必死で頑張ったものの、③は半分嘘である。ということに気付いて四苦八苦した私が、理系が気付かぬうちに罠にハマらないために、考えて損のないだろうトピックを書いていくものである。

今回は、留年するのは、賢くないからというのが主原因ではなく、別の理由があるのだというテーマです。

前号#011でも述べたとおり、僕は学士時代、成績で見ると本当にトップから最底辺まで、ありがたいことに、どの範囲にも仲良くしてもらえた友人たちがいた。大学生は学校だけでなく、私生活までお互い世話しあったりする(朝起こしたり、飲み明かしながらも講義に出たり)おかげで、彼ら彼女らの成績差がどこで生まれるかが、現実の現象として見えていた。

答えはシンプル。努力量である。

繰り返しになるが、成績優秀グループと成績最底辺グループの差は学力的な賢さの差ではない。物事をなすときに、どこまでやるか、という非常に抽象的な能力が成績を決める。この能力を、努力する能力と呼ぶ。

努力量は、世の中に明かされることのない指標だ。努力しているフェーズは非常に泥臭く、わざわざ世の中に向けて発信するものではないとされる。そして実際世の中のウケも悪い。だからこそ、この明かされない指標が成績の差の根本であることは、語られにくい。

ただ、就活市場などは気付いている。成績は努力できる量と、正の相関があることを。留年生が就活で苦労するのは、知的能力が足りないからではない。労働力としての使いにくさを判断されてのことなのだと考えられる。優秀な労働力は、努力意思のある労働力だ。

そこで本稿では、試験勉強などの具体例を挙げて、成績優秀グループと留年グループの努力量がどのように違うのか紹介したい。

期末試験に向けた学習〜優秀グループ編〜

成績上位10%に入る相葉くんは、理系学科の2年生だ。(これを書いているとき、おいしい牛乳のCMが流れていたので名前を拝借)

1年生は、みっちり詰まった時間割に、はじめてのサークル活動に、はじめてのアルバイト、そしてはじめての一人暮らしと慣れない生活に苦戦していたが、友人たちの中でも比較的良い成績を取ることができた。

2年生は、大学生の生活にも慣れて、力の入れ方をコントロールできるようになってきた。試験があるときは、どれだけ遅くても1週間前から準備をする。1週間前になったときは、十分な準備ができないので焦るくらいだ。

試験の準備は、まず講義ノートの見直しから始める。どの講義も基本出席して、板書だけでなく、先生がどこを強調していたか、どこでテンション上がって話していたかも、文脈がわかるようにメモをしている。

講義ノートを見直していると、少し引っかかる内容が出てきた。まずシラバスを再チェックする。シラバスには、その講義での獲得目標が端的な言葉で書かれているので、学習の方向を見直すことができる。今引っかかった部分は、獲得目標から見ると、メインから少し外れる内容のようだ。

今回は時間があるので、気になった部分を深掘りしてみよう。講義で教科書指定されていた本と別に、図書館で関連書籍を探す。パラパラと見て読みやすそうなもの、引っかかった部分に触れてそうなものを選んで2〜5冊借りる。

過去問も手に入り始めた。まず過去問を解いてみて、解く手が止まった部分をあぶり出そう。自分の弱点がわかったら、講義ノート+借りてきた本で、弱点を補填できるように、テストに向けたノートを再構築しよう。講義で取り扱っている論理的な説明に、借りてきた本の説明を組み合わせ、自分の中で理論を再構築する。

テスト直前の数日は、過去問と講義ノートを参考にして、先生が求める答え方、使った方がよかろう言い回しを組み合わせて、答案の予想を作る。論理展開を作っておけば、テスト本番は数値を入れ替えて、計算を正確にすることを心がければ大丈夫だ。

期末試験に向けた学習〜留年生編〜

1年生で単位を半分近く落としてしまった黒田さん。(たまたまコブクロの曲が聞こえてきたので、名前を拝借)2年前期の期末試験はもうすぐだ。

相葉くんと同様、黒田さんも1年生の新生活に慣れるまでは苦労した。サークルもバイトも、相葉くんと一緒だ。

2年生で大学生活に慣れ始めると、どんどん講義に行かなくなってきた。ノートは人から貰えば済むし、提出物などの連絡も、相葉が聞いておいて教えてくれる。

テストに向けた準備をするのは、いつもテスト前日の夜だ。一夜漬けで、もらった講義ノートを順番通り整理するところから始める。過去問ももらったので、まずは過去問の答えを覚えるところからスタートだ。相葉に作った答案を見せてもらう。

答えを覚えたら、次は講義ノートを一通り読んでおく。あぁ、答案のあそこは、ノートのここの話だな。ここは、こういう解釈なのか。ん?これで良いかな、相葉にLINEして聞いてみよう。

驚くべき集中力。夜通し10時間ほど休憩しながらも勉強した。あとは、寝てしまわないように、なんとか大学に行くだけだ。

日常に現れる、試験前の行動の違い

試験前の準備の比較をした。上の話は、実際の友人たちをモデルにしているので、ほぼリアルにこの差がある。

この差があれば、成績に差があるのは当たり前だけど、注目してほしいのは、次の視点だ。

留年候補の人は、本気で頑張れば成績優秀グループの人の行動と同じ行動ができるのか?

努力する方法を知らないと、努力量を増やすことはできない。努力量の差というのは、単純に時間をかければ埋まるものではないということだ。「本気を出せばできる」という言説は、このことを知っている、できる側の人間は絶対に信じない。

試験前の行動の差は、日常生活にそのまま現れる。努力量が少ないと、問題が起こったときに自分で考えることができない。すると、出来そうな人に、すごくふんわりと質問するしか解決の糸口がない。質問された人は、もちろんその問題の解決法など元々知ってるわけがないが、考える力がある。大体の問題は、自分で解決までたどり着けるし、質問する場合も知ってそうな人にクリティカルに質問できるだろう。

まとめ

優秀な人と留年ギリギリの人は、学力的な頭の良さで大きな差がつくわけではない。実際、僕の仲の良かった留年している友人は、話していて賢いなと感じるところが多々あった。

差がつくのは、努力量である。努力するときに、どこまでやるか、という表に見えない部分が大きく違う。

努力量の差は、そのまま日常に現れる。努力量が少ないグループは、考える力が育たない。実際的に物事に取り組む経験が、努力というものだからだ。そんな彼らは日常で困ったことが起きたとき、自分で解決までこぎつけることができない。努力量の多いグループは、大抵のことは解決まで試行錯誤できるし、質問もクリティカルだ。

成績の差は、努力量の差であるために、学力の差があるときより、さらに残酷な格差をもたらす。努力できるかどうかは、社会から必要とされるかどうかに直結する。

ではまた次回も、よろしくお願いします。

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