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旅の記憶。アイスランドの大地が教えてくれたこと


旅が人生の中心だ。
旅してないと私はじわじわダメになる。
だから、記しておこう、あの日、あの時の旅の記憶を。

2012.Iceland

アイスランド。
氷原をあるきまわって、ぐったりとして山の上のゲストハウスからふと見た夕日。

たぶん、一生忘れられないと思う。

それまで見て来た、オーロラや魔女の海や、大氷原と目の前に広がっている蛇行した小川の向こうに広がった、水平線一面に幾十ものグラデーションで美しい光を放っている夕日。

「どうして、世界はこんなにも美しくて切ないんだろう。」

もう、自然にながれでる涙を止める気もおこらなかった。アイスランドの圧倒的な力を放つ大地を歩き続けているうちに、それは、すべて私の中で理解を超えておこったことだったから。

いろんなことを思ってこの日は、うまく眠れなかった。頭と心が覚醒して、夢うつつの中で私は、ずっと大切にしてきたある人の言葉を思い出していた。

その人は、ニューヨークを拠点に活躍するアーティストの石岡瑛子さん。わたしが尊敬してやまない女性の一人だ。

アートディレクターとして日本で成功をおさめた後も、単身ニューヨークにわたり、一から衣装デザインでさらなる仕事を成し遂げて来た人だ。

ドラキュラの衣装でアカデミー衣装賞をとり、シルクドソレイユの衣装や、北京オリンピックの衣装。

ニューヨークに渡ってからの仕事はもちろん素晴らしいけれど、私はとくに、日本で発表したアフリカの大地をカラフルな民族衣装をみにつけて歩いてくるアフリカの女性達の大きな広告写真が好きだ。そして、若き日の沢田研二を実に色っぽく切り取った広告もうっとりとする。全ての仕事に物事の本質を見極めて、そこからわき上がるイメージを形によう。誰もみたことのないものを創りだそうという強い意志が感じられる。

生前、私は石岡さんに数回、電話で取材させてもらったことがある。


「どうして、ニューヨークにこだわっているんですか?」という私の質問に石岡さんはこう答えてくれた。

「自然の中では、エンターテイメントなんて必要ないの。自然そのものがエンターテイメントだから、充分に人はやっていける。でも、都会では、人はアートがないと生きていけない。だから。世界一の都会であるここで、私は必要とされていると感じられるの。」

その言葉が強く印象に残って、ニューヨークに住んでもみたけれど、やっとこの日、石岡さんが言っていた本当の意味するところが少し理解できた気がする。

思えば、これまでアイスランドで体験して来た自然は、形だけはどこかでみたことのあるものばかりだった。それは、ジブリのアニメや、ドラクエやFFといったゲームや、テレビや映画といったフレームの中で語られる物語の舞台とよく似ていたのだ。

だからこそ、思った。おそらく、多分、絶対に、本当に人の心を動かすものを創って来た優れた職人やアーティストと呼ばれる人達は、一度は、自然そのもの、または人間の深い深淵、生と死といったものに触れた事があるだろう。でないと、人の心に感動というさざ波を生み出す事など不可能だ。

だから、やっぱり、その人々が創って来た創作物の真似や模倣は、入り口でしかないのではないだろうか。

模倣に模倣を続け、そこから、再生産され続けていくものは、進化になるだろうか?それとも、退化になるのだろうか?

少なくとも、都会で生まれ育ち、浴びるように創作物を励みに生きてきた私は、

本当のところを、何も知らなかった。

『本物』がこんなにすごいことを知らなかった。

あえていうなら、本物の模倣をみて、世界を知ってる気になっていた。

情報の波と、創られた物語の中にばかり埋もれていてはいけない。

そのことに体で気づけた事が、とてもうれしく、やっと入り口に立てたような気がした。


日本の中だけで暮らしてると、未来に対して暗雲立ちこめる気分になる。
そんな空気を肌で感じる。息苦しい。

でも、私達は、まだまだ、いけるんだと思う。

テクノロジーを武器にして。本物から目を逸らさないで。

本物を見極める目は、いつからでも遅くはない、育てていける。

ゆとり世代や、悟り世代なんて名付けられて飼いならされてる事に気づかないのは

実にばかばかしい。


ただ、何も知らないだけなのだから。

知らないという事をまず知ったら、可能性はずっと広がると思う。

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