旅の記憶。ヨナと走った海岸線
旅が人生の中心だ。旅してないと私はじわじわダメになる。だから、記しておこう、あの日、あの時の旅の記憶を。
2012 アイスランド・レイキャビックのはずれ
宿のお母さん、ヨナさん。ごつごつしたたくましい手のひらに一目惚れ、焼いてくれるパンケーキがあまりにも優しい味がして、私は大好きになった。
ヨナさんと海岸線を車で走っていた。
アイスランドの海、砂浜は黒い。
「アイスランドの黒い砂浜は、とてもきれいだね。」と私がいうと。「日本の砂は、白いんでしょ。わたしにとってはそっちのほうが断然羨ましいわ」
とヨナさんはいった。
車の中で、私達は他にもいろんな話をした。
日本は、原子力発電の事故でこれからとても大変になるだろうと話をしたら、方向を変えて、白い湯気がもわもわあがり硫黄のにおいがツンと鼻をつく発電所の前まで連れて行ってくれた。 アイスランドの電気は、地熱発電でそれはとてもいいことだけどとても人が少ないからそうできるのよね、とヨナ。
それに、ヨナは、馬が大好きで3代にわたってファーストクラスの馬を育てていること。
今年は、14頭の馬が生まれたこと。
その一番上等な馬は、毛並みが豊かで格別に歩き方がどれだけ優雅で美しいか。
そして、自分の子供は6人で、孫は4人、新しい孫がもうすぐ生まれること。
ヨナの自身の最後の子供は、双子で、一人は朝に、もう一人は夕方に生まれたこと。
ヨナは、起こった事実以外のこと、感情などはあまり口にしない。口数が少ない人だ。
でもその現実の中で積み上げてきた彼女の豊かな感情や愛情は、表情と仕草だけでビシビシと伝わってくる。かっこいいのだ。
「私にとって、子供を産む事はとてもNaturalでEasyなことなの。」と
冗談まじりにヨナは笑っていった。とても素敵な言葉だと思ってグッときた。
そして、ふいに聞いてみたくなって、「だんなさんはいいだんなさんか?」と聞いたら。
照れながら「最高。私は、とてもラッキーだとおもう。」と言った。
また、ここでも、パートナーと出会えて「ラッキー」という言葉を聞いた。一つ前の宿のおかみさんも、そう言ってたっけ。
私があってきたアイスランドの女性はとても強くて働きもの。そして、旦那さんはとても優しく、これまた働き者。
ヨナさんと話をしているうちに、後ろの席に座っていた孫の歌声がどんどん大くなっていった。
だから、お互いの声が聞きとりにくくなった。ヨナが大きな声で私にいった
「子供って、寝てる時すごく静かなのに、昼間は大はしゃぎよねっ!」
そして、わたしも更に大きな声でいった「So FREE!! I’m Envy Him!」
まったくわからないその陽気なアイスランドの歌を聴きながら、
私は、ヨナさんみたいな母親になりたいな、おばあちゃんになりたいなと思った。
お別れの日、ヨナさんは、「昼食に高いランチをたのまないようにね。」といって、サンドイッチを持たせてくれくれた。
ヨナさんが連れて行ってくれたお化け博物館へのドライブ代も、ドライブの帰りにおごってくれたホットドック代も、
駅までの送り代も、持たせてくれたサンドイッチ代も、宿の勘定には入っていなくて、払わせてくれなかった。
私は、普段のお別れよりは少しだけ長いハグをして、そして、別れた。
「また、会えたらいいな。それまで、どうか元気でいてください。」
「わたしも、頑張ろう。また、ここに来れるように。ヨナさんと会えるように。」
そんな気持ちが溢れたけど、言葉には出せなかった。
アイスランドではどの出会いも、みた風景も、私にはかけがえがなさすぎて、ラッキーとしかいいようがない。この国があまりにも好きだ。