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スキルセットと経験値の彼方に

いつになくポエティックなタイトルになったが、内容は変わらず傲慢な偏見に満ち満ちている。それもこれも、ようやく試合へ臨める権利を手にした我が軍がまったくもって波に乗れず、ただそんな事態に陥ることさえもいとわないから試合を見たいと叫んでいたくせに、いざ降格圏内での生息が常態化すると、週末にマイナスへ転じた気持ちを月曜日の朝までになんとか0まで上げるための逃げ道をポエティックな世界へ求めているからだ。

宮本監督との離別

7月で3年の付き合いになる宮本監督との3年めは訪れなかった。残念だが、勝てるチームをつくるという監督業のミッションを果たせないのであれば、達成できる可能性が少しでも高い誰かを迎えるのがクラブとしてあるべき姿だ。ただ、宮本さんの就任の経緯は、クラブとして心情的な面をごり押ししたひどいやり方だったと思っている。そこからの今、またしこりの残りそうな状態に見える。

なぜ「心情的な面をごり押ししたひどいやり方」と思うのか。
彼は、トップチームの監督を引き受ける前、U-23の監督をしていた。U-23チームのあり方は人によって様々な意見があるが、こと監督業としての宮本さんは、試行錯誤しながらも少しずつ成果を積み上げ、その成果は試合を見る側からしても気づける類のものだった。自身の理想と現実との間を絶え間なく行き来し、年代的にもストレートな情動を持つ若者たちを時にはいなし、時には引き上げ、生業としての監督業を着実に踏み固めていた。

そこに火中の栗を拾わせる安直なOB人事が差し出される。しかも参謀的な役割を担う人物なしでだ。OB人事なのに、彼のスキルセットや経験値をお世辞にも把握しているとは言い難く、さらにクラブとしてのフォローも薄い。「いやぁほんま宮本君しかおらんから頼むわまじで」のみで、固辞する彼を承諾させた。
これはサポとしても省みるところなのだが、監督業の宮本さんを選手時代とニアリーイコールと捉える傾向はあったと思う。リーダーシップがあって不動の代表で静かな闘志と責任感、つまりミスターパーフェクト。監督としてのスキルセットと経験値を正視せず、その彼方にあるはずであろう人間宮本恒靖、しかも過去の彼を投影したレジェンド宮本恒靖を見ていたのだと思う。

そしてサポだけではなく、フロントにもそういった要素をちらちらと感じたのが、ほぼ全権を宮本さんが持つ形のスタッフ構成だった。これまで若年層を指導していたのだから、当然トップチームとは関係性構築ひとつとっても訳が違ってくる(しかもそこの経験値はない)。
普通のビジネスマンでも、異動や転職で年上の部下を持ったり、まったく頼りにならないが口は出す上長など様々な出会いがあるが、これまでの経験値が生かせないゼロからの関係性構築は、ひとりでは完遂できない。近くにいる誰かの力を利用したり束ねることで、自身の経験を補い職務を進めるのは王道であり基本だ。そこをフロントはフォローしなかったと私は感じ、だからひどいやり方だったと今でも思っている。今後、私と同い年(であり高校の友達とユース同期でもある)の橋本選手の監督姿を見たいなぁと思っているが、はっしーがそんな目に遭わないことを心から祈っている。

シメオネ監督の勝利

今朝、アトレティコ・マドリーがラ・リーガを制覇した。後半取りこぼす試合も多く、まさか最終節までもつれるとは思わなかったが、試合終了とともにダッシュでロッカーへ駆け込んでいく後ろ姿ではなく、ピッチに残って怒りではない柔らかなパッションを次々と弾けさせるシメオネ監督の表情をようやく見ることができて本当にうれしかった。

バイト代をつぎ込み、足りない時は両親から借金をして、私はシメオネを見るためにラツィオの試合へ行っていた。選手時代から非常にパッション弾ける人だが、それは常に怒りや憤りといったものに根差している感じで、当時はでもそんな彼の真剣さをかっこいいと思っていた。
選手を引退してしばらくすると、彼は監督業を始めた。ああいうタイプが監督ってどんな感じなのだろうといろんな記事を読みあさっていると、「直接フットボールとは関係のない知識の圧倒的不足を感じ、本屋の本を端から端まですべて読んだ」とか、嘘なのか本当なのかよくわからない話がいろんなところへ書かれていた。
おそらく彼は、現役時代とは異なるスタイルだということを本屋のエピソードとともに世界へさらしたわけだが(そしてきっとフットボーラー以外の経験値をそこでいくらか得たのだろう)、もしかしたら宮本さんにもこういう一幕があれば、周囲の理解も「監督 宮本恒靖」として現役像の投影がいくぶん薄まったのかもしれない。

2011年にアトレティコ・マドリーに就任してからは、誰もが知るシメオネ監督となったわけだが、今朝の試合の終了間際、アディショナルタイムで映ったスタンド、ベンチの選手たちの行動が面白かった。全員が監督と同じ動きをしているのだ。
マスクをして叫び、腕を大きく振り、スタンドの座席から走り出したり、タッチライン側まで迫ったり。解説の人が「シメオネイズムはこういうところにも出るんですねぇ」と半分笑いながら話していたが、ピッチの中の選手へ伝えたいことを全身であらわし鼓舞する彼らの姿を見て、監督業としてこれはひとつの完成形であり誇りだと感じた。
シメオネの監督としてのスキルセットと経験値は、アトレティコでの10年という長いシーズンで厚みと深みを増したが、彼以外の人へポジティブな影響をもたらしていることこそが生業たらしめているのだと思う。ぜひまた書籍を執筆してほしいが、しばらくは挑戦の続くフットボール界でその闘う姿を見ていたい人だ。

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