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思考の整理

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くだらない持論や一見もっともらしいエビデンスで肉づけしているものの、所詮は同じところをぐるぐるしている思考のたまり場。
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#徒然なるままに

2023年やったこと振り返り

浅草寺で吉をひく初詣とおみくじは実家近くの神社ですませているが、通勤路のお寺さんである浅草寺のおみくじは毎年自分をいましめるために引いている。今年は吉が出た。 友人のお店の20周年を祝う尾崎牛が好きすぎてより近いところで料理をしたいと、そこそこいい立地だった地元京都のお店をたたみ鹿児島へ移住した友人。鹿児島でのお店は繁華街から少し離れた住宅街にあり、こんなところでやってどんなお客さんが来てるんかと思いきや、高所得でのんびりした(元)医療関係者のお客さんたちがちゃんとついてい

働くことにまつわる戯言2023

「なんでkmr3は働くんですか?」と同僚に問われた。特に迷いもなく「頭の働きを止めたくないから。」と答える。お金、とか、好きなものを食べたい、とかそういうのが返ってくると思ってたらしい同僚は一瞬😮こんな感じになっていたが、「あああああそれkmr3ぽいぽい!」と一人で盛り上がり立ち去っていった。 確かに、なんで働いてるんだろう、と思うネガティブなことは2023年もたくさんあった。だけど結局、そのネガティブな状況も働いてないと発生しないし、その状況下で自分が何を考え行動に移すかは

理想主義くんを思い出した

米田シェフの投稿米田肇シェフの『仕事ができなかった頃の話をしよう』という投稿を読んだ。 彼が脱サラを経て料理界へ入ったことは知っていたが、元エンジニアやら最初のレストランでの指の話やらは初見だった(壮絶・・・)。 綴られる出来事のディティールや言われた台詞につい意識を持っていかれそうになるが、どん底まで落ちた時のことを淡々と書かれる今の強さ。 彼はお店を変えて自分のできることを増やし、そこからまたいろいろあっただろうが、結果今の米田シェフに至る。どん底からどうするかは自分

誰かのアウトプットが好きという説明しにくい趣味

「趣味は何ですか?」 相手が自分のことを知ろうとしてくれているかもしれないし、沈黙の時間をなくしたいだけかもしれないし、まぁそこそこ便利な質問だ。問いかける方にとっては。 回答する側って難しくないですか、この質問。 そうでもないのかな。どうなんでしょ。 とりあえず初対面の人には無難に、「スポーツ観戦とフラワーアレンジメントです」と答えることにしていて、そうすると「何のスポーツですか?」とか「何となく極端な感じですね苦笑」で話がつながる。コミュニケーションとしては上出来の回

いいかわるいかと、好きかそれ以外か。そして自己肯定感を上げることへの過剰さについて。

遠い昔、FM802の番組で、担当DJの最終回、番組の終盤で彼が言った。 「いい音楽、悪い音楽というのはありません。自分の好きな音楽かそれ以外なのです。好きな音楽をどんどん増やしてください。」 私は中学生か高校生で、自分が溺愛している音楽をつくる人たちこそが世界の中心だと思っていた。それ以外の世界、つまり溺愛対象以外の音楽は、聴こえているものの音楽としては消化せず、ただし差別をするわけでもなく、単に自分の中心に存在する溺愛対象を見つめているだけで、それはとても幸せなことだった。

貧弱な思考と語彙の帰結

女性がいると長くなりがちな会議の話から考えたとりとめのないことの記録だったものを少し経って読み返した時に、これは老齢化する過程をいかに生きるかという問いにもなると思ったので加筆修正、したところ、さらにとりとめなくなった結果のメモ。 会議が長くなるのはファシリテーターの能力不足と、参加者の怠慢である。 事前のアジェンダ周知、当日資料の事前共有、つまり参加者がインプットした上で会議に臨み、アジェンダのタイムラインが区切られていれば・・・とここで会議術を書くつもりは毛頭なく、まぁ

Clubhouseは何を破壊するのか

※Clubhouseとは、や使い方についての記載ではありません。このサービスが先行の何かを破壊している/するとしたら何なのか、を思いつくままに書き連ねたメモであることをご了承ください。 新しいデジタルサービスが生まれる裏には、新しい、あるいは組み合わせの新しいテクノロジーが存在する。サービスはテクノロジーのインターフェースであり、そこがユーザーフレンドリーであればあるほど破壊力は強い。 中毒性や射幸性などややもするとネガティブに捉えられる要素をもフレンドリー(厳密にはfri

不協和音の中に旋律を見出す

春の初めに書きかけていたこの文章が、書き始めたきっかけとは別の事象も包含していることに初夏頃気づいた。そして直近読んだ本のほぼすべてから自分が得たいと期待した、あるいは得たと感じられるものが同じ象限にあるということも。 表面上マルチタスクをごりごりやって思考も多方向へ開いていると奢っていたが、結局わたしはひとつのことしか考えられていないのだ。そんな反省を込めたメモ。 中の人々のコミュニケーション(手段や形式に関わらず)がうまくいっていない場合、往々にして組織やプロジェクトに

怒りと恐れの取り扱いについて

プレイヤーよりもマネージャーとしてのグラデーションが濃くなってきたここ2-3年のわたしの仕事状況は、相談される内容に変化をもたらした。 人との関係性、本来の性格とそのアジャスト、モチベーション、日々の過ごし方。いわゆるライフスキルに分類されるのだろうが、ざっくり言えばご機嫌なサラリーマン稼業を続けるために普段どうしているのかという相談が格段に増え、実務的なものはほぼなくなった。新しい種類の相談に答えている過程で、自分が仕事面において負の感情コントロールをほぼ会得したという実感

記述役としての人生

事実は小説より奇なり、の奇は圧倒的に奇跡の奇だと思っている。生きてきてわりとそういうことに出会うからだ。 正確に言うと、出会う主体は自分ではない。友達や同僚、いつかの先輩、行きつけで出会う人々だったり、何らかの接点でちょっと入り組んだりパーソナルなことを話せる間柄の周りの人々。 彼らの人生は時々、信じられないような出来事に阻まれたり、それを乗り越えた時に拓ける次の世界が予想もつかない展開になったり、これを奇跡と言わずして何と形容するかというものに彩られる。渦中にいる時の心の震

ただの懐古趣味ではなく古きと今を敬い審美眼を磨く決意

生まれ育ち、一時期働いていたこともあり、阪神間に残る「いいお金の使い方をした」建造物や意匠がとても好きだ。幸運にもそういったことに造詣の深い両親や友達、先輩や同僚が近くにいたので、あちこち連れ回してもらいたくさんの本物を自分の目と手で見ることができた。新歌舞伎座を正面から見るには絶対車からだと同じ道を何度も走ってくれたり、うちの大学は絶対見るべきだと府外に進学した私を長期休暇のたびに大学内へ誘ってくれたり、少し危険な界隈の散歩に面白がって付き合ってくれたり。そして味気ない通勤