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Clubhouseは何を破壊するのか

※Clubhouseとは、や使い方についての記載ではありません。このサービスが先行の何かを破壊している/するとしたら何なのか、を思いつくままに書き連ねたメモであることをご了承ください。

新しいデジタルサービスが生まれる裏には、新しい、あるいは組み合わせの新しいテクノロジーが存在する。サービスはテクノロジーのインターフェースであり、そこがユーザーフレンドリーであればあるほど破壊力は強い。
中毒性や射幸性などややもするとネガティブに捉えられる要素をもフレンドリー(厳密にはfriendlinessだが)は内包し、それらをやがて人々にとって「なくてはならないもの」へと転移させる。

先日読んだ本、ピーター・ディアマンディス&スティーブン・コトラー『2030年 すべてが「加速する」世界に備えよ』の中で、エクスポネンシャル・テクノロジーの6つのステージというトピックが、俯瞰的かつ網羅的でなるほどと思った。
以下は、そのトピックと、先月日本へ上陸したClubhouseのじわじわとした伝播が重なると感じた部分をざっとまとめた読後メモである。

エクスポネンシャル・テクノロジーの6つのステージ

エクスポネンシャル(指数関数的な)・テクノロジーとは、

簡単に言えば、われわれは新しいコンピュータを使って、さらに新しい高速なコンピュータを開発する。それによって正のフィードバック・ループが生まれ、加速のペースが一段と加速するというわけだ。

と著者らはまとめている。この流れの中で、ナノテクノロジー、ブロックチェーン、XRなど強力なイノベーションが生じ、これは例えばCOVID-19のワクチン開発のスピード感の実現は、バイオテクノロジーに量子コンピューティングやAIが乗っかり加速した結実とも考えられる。

著者らによると、エクスポネンシャル・テクノロジーは以下6つのステージに分けられる。

①デジタル化
②潜行
③破壊
④非収益化
⑤非物質化
⑥大衆化

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非収益化、非物質化といった言葉は一見わかりにくいものの、メモの事例を見ていただけると理解しやすいと思う。

上陸して半月が経過した日本におけるClubhouseが、上に示す⑥大衆化へ到達するには避けて通れない③破壊。現状見える範囲で、Clubhouseは今何を破壊しつつあるのかを考えてみた。

日本におけるClubhouseが破壊しているもの
①個人の可処分時間

既にアメリカでは1年近く先行して利用されており、誹謗中傷事件とプラットフォームとの関連といった考察も出ている。遅かれ早かれ日本でも様々な事象が出てくるだろうが、1月の中旬に上陸後、2月に入ったClubhouseにまつわるいくつかの発言を読んで感じたのは、可処分時間が破壊されるという個々人の認識の強さだ。それはこれまでのテキスト、動画、画像SNSとは異なり、聴覚と発話で構成されるリアルタイムチャット形式ゆえの時間的な制約に起因する。スマートフォン&ワイヤレスイヤホンがあれば場所はどこでも、運動中であろうと掃除中であろうと状態は問われないものの、今ここでしゃべる/聞くという行動からは離れられない。
アーカイブもなく、聞き逃すと終わり(残らないおしゃべりという特性だからこそ、コロナ禍で移動がなくなり、人と会わないがしゃべる時間はある、というニーズのど真ん中を捉えている)な消え物としての存在は、私たちへ無意識レベルで焦燥感や惜別の念を与えている。
フォローしている人々が参加しているルームが見えるので、ずっとしゃべりっぱなしだなと思う人をある日見かけないと急に心配になったりするのだが、そういう日は彼もClubhouse断ちだったりした。

日本におけるClubhouseが破壊しているもの
②もはや亡霊と化したメディアヒエラルキー

SNSが一般的になったことで、既にメディアヒエラルキーは書き換えられている(メディア側が動画や写真使用を求めて個人アカウントへ連絡してくることや、SNSでバズったことをコンテンツにすること、Youtuberによる配信が当然になった現象を見ても明らかだ)が、Clubhouseはそこへ新たな概念を持ち込んだと思う。
様々な配信番組は、時間という枠の中で最大限に魅力を伝達するための構成とそれに紐づく台本、カメラワーク、広告挿入、絶妙な司会進行によって成り立つ。無計画ではないのだ。
Clubhouseは、モデレータが1人で話す場合もあれば複数名のディスカッションもあるが、複数の人が事前に関わり綿密に練られるような構成、台本はほぼない。もちろんモデレータの方がある程度アジェンダを決めていたり、テーマ自体を定めているルームもあるが、ベースは限りなくセッション形式だ。(使い方が多様化して怪しいセミナーなどが出現するとまたそれは異なってくると思うけれど)
「終わる時間を定めないと」と多くのモデレータの方が話していたが、オフラインでの会話が、話が転々としたり膨らんだりで「お客さん閉店ですよ」状態になるのと同様、Clubhouseもリアルタイムで話しているがゆえにそれは起こりうる。ただそれこそがセッションの醍醐味であり、制約の中では生まれない何かがこぼれる機会を生む。

つまり、音声メディアではあるものの、ClubhouseはラジオやFM、Podcastといった先行する「枠と構成のある」音声メディアとはまた異なるフィールドを持ち込んだ。ただしこのことは、ラジオやFMといったメディアと、そこで仕事をする人々を駆逐するというわけではない。
コロナ禍により、不特定多数の人が集まる場で時間を過ごすということは非常に難しくなった。つまり「マクドナルドでJKが言ってた」や「飲み屋の隣のサラリーマンたちが噂してた」事柄を自分の耳に入れる機会が極端に減少し、いわゆる雑踏からの無意識的インプット習慣はほぼ失われている。
その中で、Clubhouseは今後、そういった習慣を復活させる方向性へ舵をきれる可能性を持ち合わせているのではないかと、希望も込めて思う(もちろんそれはプラットフォームを使う私たちの傾向に依ってしまうため、そうならない可能性も多分にある)。いずれにせよ、既存メディアが踏み込めない部分をうまくついたセッションという形式は、既存のメディアヒエラルキーには属さないエリアを明確に構築し、踏み込む余地があると教えてくれている。

「フォローを増やすためのルーム」ができていたり(出たよフォロー数至上主義)、Clubhouse内でのヒエラルキーは確実に醸成されていく。中の勢力図より、Clubhouseを何のカウンターとして既存勢力へ当てていくのかを考える方がよっぽど楽しいはずだが、実際にカウンターパンチを当てる人は中のヒエラルキーで高位の人であることもまた事実であり、この内外の観察は続けていきたい。

破壊というより復活なのかもしれない

雑踏からの無意識的インプット習慣の復活。つまり、オンラインでストリートを描けるようになる=ストリートの復活ということは、人々がClubhouseという武器でコロナ禍による制約を乗り越える日がすぐそこにきている、とも言えるのではないか。
別に他人の無計画な話など聞きたくないという人も多いし、そこから得るものは何もないと考えるのも自由だ。ただ、私はストリートのざわめきが猛烈に恋しいし、こうやってオンラインストリートの萌芽が顔をのぞかせたことは、やはり人間は何かを破壊し続けていく生き物なのだなと改めて感じたし、ウイルスに抑圧された1年を経て復活の狼煙を上げ始めたと考えると、移動できない鬱屈さからも気が紛れるのだ。



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