自己認識について

自分が生まれる5分前に世界が始まっていてもなんら影響がない。哲学の有名な思考実験だ。自分が見ている赤色が他人の緑色であったとしても、お互いの会話や思考になんら影響はない。これも有名だ。
世界がどうあろうと、他人が自分をどう認識していようと、基本的には目の前の事実ベースで世界は回っているため、どうでもいいのだ。自分をどういう人間として捉えるのか、イデアは自分だけのものだ。

”他者が見ている自分”は自己形成に何の関係もない。
他者からすればエイドスがすべてであり、個々人の中に秘められているイデアを知ることは無いし、恐らく本当の意味で理解することは無い。だからこそ、引き寄せの法則ではないが、なりたい自分を発信していくことが理想の自己認識を他者と共有する唯一の方法であると思う。

SNSとインターネット全盛期である現代において、自分を理解してもらえないという人間は増えているように感じる。というより、理解してもらうための努力が足りていないのだ。イデアは十人十色だ。十分な説明もナシに理解してくれない他者を有責とするのは幼児の考え方である。一方でインスタントコミュニケーションが発達したことで、深層の自己表現をする場所がないという考え方もできるのだが…。

まあ、大抵の場合において、○○で悩んでいることに誰も気づいてくれない。というのは、実は周りから見た君が”1ミリも悩んでいるようには見えないお気楽野郎”なのだ。あるいは”悩んでるアピールが仰々しいイタい野郎”だ。秘密の共有的な観点からしても、自ら相談したほうが心理学的には得である。好意の返報性で相手の秘密を教えてくれるかもしれない。これは結果として相互理解が深まるきっかけとなる。

そんなわけで、自己認識は自分が創り上げるという意識が大事というお話でした。理想の自分と現実の自分が乖離している人はぜひ人に理想の自分を語り尽くすことをお薦めする。

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