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嵐、ありがとう。

これは2021年1月19日に書いた、嵐への気持ちをコラムみたいにまとめた文章です。嵐には心から幸せになってほしいです。

2020年12月31日 紅白歌合戦

私は、数え切れない嵐ファンのほんのひとかけらの一部に過ぎないが、嵐のおかげで人生を大きく救われた一人である。

嵐最後の生配信ライブ、その途中で紅白に参加した嵐が涙をこらえているかのような、キラキラと輝く瞳で、歌う姿を見て、私を含め、多くの人々が感動や感謝、言葉にできない気持ちが溢れて涙したことと思う。

嵐を初めて知ったのは、私が中学生の時だった。
母が嵐ファンだった影響で、嵐の曲は昔から知っていたが、ふとラジカセから流れる「言葉より大切なもの」を聞いて、私は感動のあまり涙を流した記憶がある。
当時、学校でうまく友達ができず、あまり楽しくない学園生活を送っていた私に勇気と希望を与える歌詞が心に届いたのだ。

「無理して笑うには理由がなさすぎて」

「つい愚痴っぽくなって弱さがイタくて見られないように泣いた」

「今はそれが等身大の素顔で どんな明日に変えてみよう」

「言葉よりも心のほうが 答えになるから」

……このフレーズに、あまりにも心を救われた気がして、私は嵐が大好きになった。
それまで、アイドルや男性俳優などにまったく興味がなく、むしろ毛嫌いしていた私が、母に「嵐が好きかもしれない」と言ったとき、とても喜んでくれた母の笑顔を覚えている。
娘の私と共通の好きなものが出来たのが嬉しかったのかもしれない。

それをキッカケに、私は母と一緒に嵐の番組やドラマを見るようになった。
毎日が急に楽しく、潤いを取り戻したような感じがした。
「南くんの恋人」や「ムコ殿」のDVDをレンタルしたり、嵐主演の映画「ピカンチ」を家族で見て笑ったり泣いたり、今までのCDアルバムや、コンサートDVDも見た。

数々の嵐の作品の中でも、特に心揺さぶられたのが、嵐の深夜番組「Gの嵐!」だ。
たまたま父も一緒に「Gの嵐!」を見ていたら、父も自然と笑顔になっていた。
それからは、家族みんなで嵐を見るようになっていった。
本当に幸せだと感じた。

学校でも、嵐が好きだということを話したら、友達ができた。
同じ嵐好きの友達と、私の母と、3人でコンサートに行ったりもした。

月日が流れる中で、学校で陰湿ないじめにあったこともあった。
本当につらくて、学校に行きたくない朝もあった。
そんなとき、父母が私を元気づけようとして「Gの嵐!」の録画をテレビで流してくれて「ほら、みんなで嵐見るよ、起きなさい」と言われたとき、私は思わず嬉しくなって飛び起きた。その日は元気に登校することができた。

本当に私は、つらいことがあると、嵐の曲や番組を見た。

嵐の言葉、曲の歌詞、その1つ1つを感じ取ろうと必死だった。

そして、テレビの向こう側の嵐は、そんな私のようなファンの一人にさえ、「元気を出していこう」と、強く輝く姿を見せてくれるのだった。
嵐からは常に、まっすぐな、ファンに対する感謝の気持ちが感じられたし、明るく前向きで清く正しいアイドルで在ろうとする姿勢が垣間見えた。
そんな嵐が、私達はますます好きになっていったのだった。

長い年月の中で、色々なことがあったけれど、私は「嵐」という存在に救われ続けてきた一人だ。

そして、終わりの時が来てしまった。

2020年をもって、活動休止。初めて聞いたときは、まさか嘘だろうと思った。
信じられないという気持ちと、ああ嵐は、これで自由になれる、やっと一人の男性としての幸せな普通の人生を歩めるのかもしれない、とも思った。

そんな気持ちで、迎えた12月31日という日。

無観客というかつて無い状態での公演。

そんな中で、嵐はやはり、眩しかった。一人一人が輝いて見えた。
やっぱり、嵐が大好きだ。そう再確認したとき、涙が零れた。

嵐を好きになって良かった、嵐というアイドルと、共に時間を過ごせて良かった。私は嵐という存在のおかげで、命を救われたといっても過言ではない。
どうか、嵐にはこれからも、幸せになってほしい。

2021年1月19日