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尊敬からはじめること

久しぶりに怒鳴られた。

コンビニのお会計で、電子決済にモタモタしていた私の後ろに、70代くらいの男性。たった10秒くらいの待ち時間が待てなかったようで、

『なにやってんだよ!サッサっとしろ!』

久しぶりに聞いた言葉で一瞬、時が止まった。

わたしは彼の目の奥を見ながら笑顔で言った。
『お急ぎなのですね。すいませんでした。』

彼は目を合わせなかった。

'
彼には急いでいる理由がある。
彼には彼の常識がある。
'

わたしは名前も知らない彼を尊敬する眼差しで
その数秒間を一緒に過ごした。

コンビニを出てお会計が終わったその70代の彼は
急ぐこともなく、ゆっくりした足取りで車に乗り込んでいた。

そう、彼は急いでいなかった。
"怒り"という感情を出すことで
存在を承認してもらいたかっただけなのだ。

"
名前も知らないあの人が
穏やかに過ごせますように。
不安がなくなりますように。
安心して暮らせますように。
幸せで満たされますように。
"

慈悲の心でわたしは祈るよ。


尊敬とは
人間の姿を、ありのままに見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のことである。
エーリッヒ・フロム


ヨガや瞑想を毎日地味にコツコツ続けていると、
他者との関係性や、社会との関係性の中で、俯瞰して物事の真理を観ることができる。

子供との関わり合いでも同じで、
私達は価値観を押し付けていないか。
教育や宿題というものに対しての思うこともあり、
そこにはやはり"尊敬"がベースにあるのだと。

私達、大人、親、教育者は、子供達を尊敬しているのか
義務を押し付けているのか。

子育ても教育も対人関係全てにおいて
私達は
"尊敬からはじまること"を忘れていないだろうか。


また次回書き留めたいと思います。
ここまで読んでいただきありがとうございます。

感謝。

まい

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