シンプルなテキストだからこそ、隠しきれないもの。
noteは、文字どおりまっさらな「ノート」のような存在だ。
ほかのブログサイトと比べると、文字を装飾するような機能も最低限のものしかない。
だから「文章」という土台は、みんな一緒で。
派手な装飾や演出ができる写真や動画などがメインのSNSに慣れていると、noteはなんだか物足りないと感じてしまう人もいるかもしれない。
写真や動画は、いくらでも飾りつけることができる。
とても便利なツールだけど、それはときに本来の自分を覆い隠してしまうこともある。
だけど、このシンプルなnoteでは、みんな裸一貫、すっぴんのままで勝負するしかないというか。
たしかに文章でも、ある程度は着飾ったりカッコつけたりすることはできると思うのだけど、そこにのせられているエネルギーまではかくせない。
なんか怪しいこと言ってるようだけど、読み手には案外伝わっちゃうものじゃないかな。
だからこそ私は、シンプルなテキストこそ、その人の個性や魅力が自然とダダ漏れになっている感じがして、たまらなく好きなんだと思う。
文章からは、顔も見えないし、姿かたちはまったく見えない。
でも、だからこそ、みんな安心して本音を出せるんじゃないだろうか。
紡ぎだされる言葉をとおして、その人の人間的な魅力や、その人が持つ本来の音色のようなものが、まっすぐに伝わってくる気がする。
本音とは、一人一人が持っている本来の音。
本当の音色。
文章を読むとき、私たちは単に文字を読んでるんじゃなくて。
その言葉にのせられている、その人ならではの音を拾いにいっているんだと思う。
だから私は文章を読むことも好きだし、書くことも好きなんだ。
今日も、noteを開けば、個性豊かなクリエイターさんのの奏でるステキな音色が響いてくる。
私も、嘘いつわりのない今日の私の音を響かせる。
本当の音色というのは、とても美しい。
そんな美しい音楽がたくさん聞こえてくるnoteという街が、やっぱり私は大好きだ。