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「無条件の愛」をペットから学ぶ

愛とはなにか。
深く考えたことはありますか?

私は、自分と向き合うきっかけになった色彩療法との出会いを通して、

「自分のことを、無条件に愛しなさい」

というメッセージをたくさん受けとるようになりました。

その頃から、愛ってなんだろう?

とずっと考えてきました。

無条件の愛があるのなら、条件付きの愛もある。
愛の種類も、パートナーへの愛、母性愛、父性愛、兄弟愛、人類愛、動物への愛……

その中で、私にとって最も理解しづらかったのが、冒頭でお伝えした「無条件の愛」です。

それもそのはず。
私はそれまで、自分に対して

できる自分は◎、できない自分は×
肩書きやステータスがある自分は◎、ただの主婦の自分は×
かっこいい自分は◎、カッコ悪い自分は×
ポジティブな自分は◎、ネガティブな自分は×
働き者の自分は◎、怠惰な自分は×

そんな風にジャッジして生きていました。
つまり、自分に対して条件付きの愛しか与えられていなかったということです。

無条件の愛とは、

弱い自分も、カッコ悪い自分も、怠惰な自分も…
どんな状態の自分のことも、丸ごと受け入れてあげること。
「こんな私もいるんだよね」と存在自体を認めてあげること。

この感覚は、愛犬のころ助をわが家に迎え入れてから、少しずつ分かるようになってきました。

そもそも動物は人間同士のように言葉を交わせないし、人間と同じようにできるわけじゃないから、という前提があるからかもしれませんが、

ころ助のことは「何かができるから」という条件で愛しているわけではありません。

トイレを失敗することもあるし、目を離した隙にティッシュを食べていたり、イタズラして家の壁紙を剥がされたり、怒られてもすぐ忘れて同じことを何度も繰り返す…
それに、犬ももちろん病気をすることもあります。

それでも、ころ助のことは、どんな状態であってもかわいいし愛おしいのです。
生きていてくれるだけ、ここに居てくれるだけでありがたいのです。

その感覚が、まさに「無条件の愛」ですよね。

でもなぜか私たちは、自分や家族、周りの人たちに対してはこの感覚を忘れて、条件付きの愛でジャッジしてしまいがちです。

でも本来は、何かができるからとか、相手に何かを与えられるから愛されるのではありません。

かわいいペットと同じように、私たちは存在しているだけで「愛」そのものなのです。

自分に対して、無条件の愛を送れるようになると、自然とまわりの人たちに対しても、無条件の愛で接することができるようになります。

それはきっと、こんな感覚なのかもしれません。

愛は、きっと奪うでも与えるでもなくて
気がつけばそこにあるもの

Mr.Children 『名もなき詩』

改めて、名曲ですね〜。

愛は与えようとか、もらおうとかしなくても、本来は自分の内側から溢れ出てくるもの。
常に自分の中に、そして身近な人の中にもあるもの。

私たち一人一人が愛の周波数を出して生きていたら、不足感も無くなり、奪いあうこともなくなっていく世界になるのでしょうね。






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