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真面目な人への処方箋〜ご機嫌でいること〜

小学校の通信簿にはいつも
「真面目で責任感が強いです」と書かれていた。
また、周囲の人々からもまじめだよねーとよく言われた。

真面目という言葉は褒め言葉として使われることのほうが多いが、
当の本人は、真面目というのは、まるで面白味がないと言われているようで、なんか嫌だと思うことも多々あった。

とはいえ、
それをプラスの意味として解釈しようともらマイナスの意味として解釈しようとも、真面目な側面、責任感が強いという側面は間違いなくあるのだろう。

会社員としては、真面目な側面と、責任感が強い側面は便利だと思う。
ただ、便利なことは果たしていいことなのだろうかという問題提起をここで。

最近の話だが
長いGWが終わって、仕事がはじまるとき
原因不明の、体調不良になった。
いつもの体調不良とは違ったものだから、不安になって大きな病院に行った。いろいろ検査や診察した結果、幸いにも大事ではなかったから安心したのであるが
体のシグナルは耳を傾けなければならないなと思った。

そういえば、
数年前にも、健康診断で要詳細検査という判断がくだされ、詳しい検査をしたことがあった。
それも大事ではなかったのだが、健康診断少しまえに風邪をこじらしてして、多少重症化していた影響があったようだ。
そのときも、たしか、体のシグナルに耳を傾けて、日々の生活リズムを見直さないとなと思ったことを思い出す。

今回も、前回も
どうしてなんだろうかと振り返ったとき
少し無理をしていたのではないかなと思う。
キャパシティというのはひとそれぞれなのだろうけど、
自分のコップの容量を越え、注がれた水が溢れたら状況だなとイメージする。
水があふれたとき、通常とは違う体のシグナルを発信しているようだ。
メンタルで気付かないから(へこんでも前向きに切り替えることが多い)、体が一生懸命に気付くようシグナルを発信してくるのだ。
休め、休めと。

前回は体の倦怠感や微熱に苛まれていながらも繁忙期だから、もう少し頑張ろうとちょっと無理をしたのだ。
体は休みたいけど、仕事への責任感で少し無理をしていたなと振り返る。結果、風邪をこじらせた。

そして今回は
①仕事の繁忙期、
②自分に与えられた職務へのプレッシャー(今、チームをまとめる立場にいて、今年の目標やらプロセスやらを上から詰められ、チーム内や周囲の環境からの意見やら厳しい指摘に頭を悩ませ)、
③年齢年代的に考える諸問題(恋愛結婚これからのキャリア生き方、アラサーなら皆悩み考えうる事項。帰省してより考えた)

といくつかの諸問題で悩み葛藤して、コップの水が溢れたと分析する。
これもまたいつもとは違う体のシグナルが出て、危機感を覚え、休みをとった。

こういう体のシグナルを受け取らなければ、なかなか休まない、サボらない、手をぬかないっていうのは私の悪い癖だなと思う。
今回も、これで正当に休めると思ってしまったのだ。私には有給がありあまっている。

真面目な人や責任感の強い人によくありがちなのが

周囲の期待にこたえ、自分の役目を全うしようと、注がれる水をすべて受け止めようとしずきてしまうこと。(それは、限度を過ぎると溢れる)

体や心はしんどいとか休みたいと小さなシグナルを徐々に出しているけれど、まだまだ大丈夫だろう、今休んだら周囲に迷惑をかけるだろうからと、シグナルを無視して、無理をしてしまうこと。(無理をするくらいなら、迷惑かけていいし、迷惑までいかなくとも協力をもとめたらいいものを)

これを続けていると体か心かに支障をきたしてしまう。
実際に周囲にもそういう人々がいて苦しんているのを目の当たりにしている。

ひとそれぞれもっているコップの容量なんて限りある。
大きいか小さいかはここでは問題にはならない。

少しだけ無理をして容量を広げるって考え方もあるし、多少広がる部分もある(実際、社会人数年を経て鍛えられた部分も確かにある)のだけど、
それでもやっぱり限度があるし、溢れるものは溢れるのだ。

こんなことを言うと、
要領のいい人は、そんなに無理する前に周囲に協力もとめたり、うまくサボればいいじゃないかと言う。

でもね、
真面目な人、責任感の強い人、それが簡単にできないもんなんです。
要領のいい人のようにうまくできるのならば、悩んだり苦しんだりしないのです。

真面目な人、責任感の強い人は、弱っていても、簡単に弱音を吐かないし、気を遣わせてしまうと遠慮してしまうし、逆に周囲に、弱っている人がいたら、その人の分まで頑張ろうと思ってしまうのです。
ひどい場合だと、まだ余裕があるように周囲に見えて、更なる負荷をお願いされることもあるのです。そして断れない。

これはそんな真面目な人、責任感の強い人への処方箋

ありきたりな言葉だけれども、
ひとりで頑張らないで、協力的だなとか、心を許せるなと思う人には遠慮なく甘えよう。素直に本音を言おう。
家族でもいい、友達でもいい、恋人でもいい。そんな存在を見つけよう。
まわりがどう思っているかばかりを気にするのではなく、自分が少しでもご機嫌で過ごせられるように工夫しよう。
好きなことをしてリフレッシュするのもありだ。私はこうやって、文章書いたり、小説を書くのが大好きだ。

そして、注がれる水はたまには意図的にこぼしてもいいし、コップがたりなければ他の人のコップをかりればいい。

こちらはそんなエピソード
【再投稿】お互い様の温かさ

社会人1年目のとき
慣れ親しんだ大阪を離れ、東京で就職することになった。
そしてはじめての一人暮らしだった。
初めて尽くしだった。緊張感を伴うことも今よりもっと多かったと思う。

そんな社会人1年目の私へ、この処方箋を渡そう。

そして、この処方箋を渡している現在の私も
偉ぶれるほど、自分の弱い部分を克服したわけでないし、不器用に失敗している。昔よりは要領よくなったつもりだが、まだまだ足りないらしい。
どうやったって、根本的な性質は変わらないままだ。

弱っているからこそ
周囲の心配の声や温かい声がまっすぐに届く。心にしみる。

「大丈夫か?無理してないか?」
「サボってもええんちゃう?」
「今は何も考えないで、しっかり休め」
「いつも頑張ってるもんね、お疲れさま」
「もっと頼ってくれてもいいんやで」
「若いんだから、体を大事にね」

これらのことばはいい薬だった。
休養も大事だけど、周囲の思いやりの温かさは何よりもいい薬だった。
それらのことばに対して
やっぱり真面目で責任感の強い人は

「うん、ありがとう。もう大丈夫」
「ごめんね。迷惑かけたね。もう全然平気」

って強がって返してしまうこともあるけれど
その温かい言葉が何よりも癒しだとわかっている。

他の真面目で、責任感の強い人にもそんな癒しの言葉を掛けていきたいな。と一真面目人間の私は思うのだ。

そうやって
他者に対して寛容になりたいと思うし
社会も寛容で優しい世界になってほしいと思う。

今までは結果やら成果ばかりが求められて、優秀な人や便利な人が優遇される一方で、何かに失敗ったりするとすぐに揚げ足をとられてしまい、道を踏み外してしまうとすぐにつま弾きされてしまう世の中よなって思う。

誰だって失敗することがあるし、弱い部分だってあるし、迷惑かけてしまうこともある。
だからこそ、お互い様なのでっていってサポートしあえるような温かい社会になってほしいなって心から願う。

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