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炎症性乳がんになった私・・・ でも元気です! (3) 手術とその後の私

(2)の続きです!

ついに手術へ


抗がん剤治療最終ステージ

 最初のEC治療を受けている間は、「抗がん剤って、結構大丈夫なものじゃないの、思ったほど大変ではないわ」と思っていた私。しかし、8週間に渡るEC治療を終えて、間に一週間の休みを挟み(この休みの間には元気を感じられて、本当にうれしかった)後半のドセタキシルの治療に入った頃には、治療開始後二ヶ月以上が過ぎ、体力も次第に衰えてきたせいか、だんだん苦しさが増してきました。

 EC療法の時はまだ体力もあり、それほど副作用では悩まなかったのですが、12月にドセタキシルが始まると、点滴を打った二日目、三日目に全身の痛みを感じることがありました。しかし、これは前もって看護師さんからこういう症状が出ると聞いていたことだったので、ひたすら我慢し、時が過ぎるのを待つだけでした。

 抗がん剤を点滴する看護師さんも、「多くの患者さんが、ECよりの方が大変だと言っている」と話していたので覚悟をしていたものの、それは、抗がん剤治療が長引くと、後になればなるほど大変になるからではないかと思いました。

 抗がん剤も最終段階の四か月目になると、さすがに体に疲れが出たのか、ちょっとしたことですぐ横になることが多くなりました。

 ドセタキシルの点滴で特徴的なのは、爪が黒くなること。その対策として、看護師さんは氷の入ったナイロン袋を用意してくれていました。点滴を受けている間じゅう、両手足の先につけておき、爪への影響を防ぐのです。それでも爪は次第に黒く変色し変形していきました。

 でも私にとって副作用の中で一番つらかったのは、爪が黒くなったことよりも、食べ物の味が変わってしまったことでした。この四か月目に食べ物の味がわからなくなりました。水を飲んでもなんだか変な味がして、水道管の中に何か入っているのではないかとさえ思いました。家族に言わせると、いつもと同じ水の味だと言っていましたが。

 何を食べても味がしないので、食欲はどんどん落ちました。そのうちアレルギーで顔が赤くなり、頬にはあかぎれができて出血しました。足の裏も熱をもち、歩くと違和感がありました。

 これらの症状も、抗がん剤治療終了と同時に消えていきました。それから爪も抗がん剤終了後にはちゃんとピンク色の部分が生えてきて、伸びて黒かった部分はすべて切り取ることができ、髪の毛も次第に伸びていきました。

 抗がん剤で激痩せする人は多いようですが、私はそれほどでもなく、この食欲不振の時期でも抗がん剤治療開始前より12キロほど減っただけでした。この体重は私が20代後半の頃と同じ体重で、つまり激痩せとまではなりませんでした。

 それでもかなり体力が落ちたことは実感していたので、やはり抗がん剤治療はいつまでも続けられるものではないと思いました。

 色々困難はあったものの、抗がん剤のおかげで、胸のしこりはかなり小さくなったように感じました。手術まであと少しの我慢だ!

 2016年の大晦日、我が家にウガンダ人のお友達Dさんが遊びに来てくれました。Dさんはウガンダの高校卒業後、ロシアに留学して現地の医学部を卒業した内科のお医者さんです。言語が全く違う国の大学で医学を学ぶなんて、すごい人もいるものだと思いましたが、彼が若い頃は、アフリカの優秀な若者はよくロシアに留学し医者になっていたのだそうです。

 彼に私の胸を見てもらったところ、左乳房周辺の「ここと、ここと、ここが腫れている」と指摘されました。私から見ると全然腫れているようには見えないのだけれど・・・。

やはり、がんはまだまだ私の体の中で暴れているんだ・・・。

と、がっかりした瞬間でした。

それでも私ができることは、今決められた治療をやることの他にはないのです。

 正月明けにエリノール先生の診察を受けると、左胸のしこりは3cm x 4 cm まで縮んでいました。この状態なら手術は問題なくできると言われて喜びました。

 ちなみに日本人で炎症性乳がんに罹患した有名人と言えば北斗晶さんですが、彼女は私より一年ぐらい前に罹患したことを発表されています。彼女の治療は手術を先にして、それから抗がん剤という順番だったと言われています。私はエリノール先生に抗がん剤を先にやらなくては、手術はできないと言われていたので、疑問に思っていましたが、同じ炎症性乳がんでも北斗晶さんの場合は、見つかった時まだ腫瘍は2センチの大きさだったそうです。その大きさなら手術を先にすることも可能だったのでしょう。

 2017年1月19日は、私が最後の抗がん剤点滴を受けた日です。

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