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つながりはつくるものじゃなく、思い出すもの。

生きものはつながっている。
46億年か、そのさらに先から、連綿と。

人間もつながりのいきもの

社会とのつながり、っていうけど、それは「コミュニケーションを自らとる」とか「困ったときに助けを求められる」みたいな文脈で使われることが多い気がする。

でも、実際には私たちは「つながっちゃっている」。気づいていても、いなくても、現代のヨコ的つながりと、ここまでの生命としてのあゆみというタテ軸のつながりとがすでに身体のなかに、縦横無尽に、意識して剥がせないほどにある。

だから、つながりは能動的なものだけではなく(そういうのもあるけど)、実はすでにたくさん受容してしまっているものでもある。
それに気がついていないだけで。

すでにあるそれを思い出していくだけ。
だって、もう、あるんだもん。

ばあばが息子に送ってくれたこの本を息子と一緒に読んでいたら、↑が浮かんできた。

https://www.amazon.co.jp/すごいぞ-進化-はじめて学ぶ生命の旅-アンナ・クレイボーン/dp/4140361387

村にいるときになんとなく肌身で感じていることを首都にいるときに本を通して、全然違うベクトルから思い出す。

そうだ。
あとは思い出し方のバリエーションをたくさん開拓するだけ、ってことかもな。

だって、バナナと私たちって、DNAレベルで見ると6割以上一緒なんだってよ。

目に見えているものも、いないものも含めたら、私たちのまわりにはつながりのヒゲ根がもじゃもじゃだ、きっと。

上記の1冊、大人にも面白いかと。



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