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もしも、あなたの寂しさが公害レベルに達したとき、試してほしいたった1つのこと

これを読み始めた人は、多かれ少なかれ「寂しさ」を感じることがあるのかもしれません。

一言で「寂しさ」と言っても、人によって、場合によって、さまざまな濃淡の寂しさを感じると思います。

レモンやラズベリーくらいの、甘酸っぱい切なさに似たような「寂しさ」は、おそらく日常生活に支障がないくらいだと思うので、ぜひそんな状態も楽しんでお過ごしください。

今回は、その寂しさが「公害レベル」になってしまったとき。

自分が苦しいだけでは済まされず、苦しさから大切な人に当たってしまったり、やり場がなくて自分がぶっ壊れてしまいそうになるくらいの寂しさ。

寂しさもそのくらいの濃さになると、映画を見たり、マンガを読んだり、恋人や友達と会ったりしても、紛らせられない、と気づき始める頃ではないでしょうか。

ほんの一瞬気が紛れても、その後に胸のあたりがスーッと冷たくなってくる。
そわそわして、どうにかこうにか感じないようにしたいんだけど、否応もなく湧き上がってきてしまう。

これはもう、環境や誰かのせいで「寂しくさせられている」のではなく、そもそも内側に「寂しさ」があるのではないか…。

さて!そんな時に、ぜひ試していただきたいことがあります。

それは、どうしようもない寂しさが湧いたときに、
「どうしてほしい?」と、声をかけてみてほしいのです。

自分から、自分に対して、です。

もし何か返答があったら、それを「気のせい」にせず、聞いてあげてください。
イメージとしては、自分の内側に小さい自分がいるとして、その小さい自分に対して、声をかけてあげる感じです。

親にそうしてほしかったように、パートナーにそうしてほしいように、「どうしてほしい?」「どうしたいの?」「うんうん、そうか」と聞いてあげる。

何も返答がないとか、よくわからないな〜と思ってもあきらめず、内側から「さみしいよー!」という声が聞こえるたびに、思い出して話しかけてあげてください。

親やパートナー、友達に求めるのではなく、自分から自分に対して求め、与えてあげる。

自分で自分に対して話しかけるなんて、やばい感じがしますか?

でもね、これって、自分一人でできることなんです。
周りに誰もいなくても、自分から自分に対して、与えることができる。
すごく省エネ・エコだと思います。

それに、もしも公害レベルの寂しさを体現しているとしたら、その時点でけっこうやばいですからね。

あなたの寂しさは、あなたが気づいて、声をかけてくれるのを待っているかも。

誰に聞かれているわけでもないし、試しにやってみる価値はあると思います。


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【どんな自分も置き去りにしない】をモットーにnoteを書いています。

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わたしが書くのはごく個人的なことですが、わたしひとりをとっても、いろんな側面があります。ほかの誰かと、どこかの側面で共鳴することがあるかもしれません。みんなすこしずつ重なりあっているのかもしれませんね。