Mai Kuroiwa

満月うまれの山そだち。 「どんな自分も置き去りにしない」をモットーに、生き方・在り方を…

Mai Kuroiwa

満月うまれの山そだち。 「どんな自分も置き去りにしない」をモットーに、生き方・在り方を、ごくふつうの日常を通して見つめています。 どんな感情も否定せず受けとめ、自分と他人をどんどん自由にさせていくのが目標。

マガジン

  • 関係性について考えるマガジン

    • 12本

    サステイナブルな生き方・暮らし方・働き方と、それを可能にするやさしさが連鎖する経済圏を作るためにtiny peace kitchenが行っている社会実験について発信しています。

最近の記事

あの頃、池上本門寺は「ほんもんじ」だった。

わたしが中学生の頃までは、年に一度、家族旅行で東京に来ていました。 大田区で生まれ育った母にとっては、帰省です。 父の運転する車で長野を出て、東京に着くのはいつも暗くなってからでした。 車を降りると、涼しい風の中に金木犀の匂いがする。 金木犀の匂いは、わたしにとっては「東京の匂い」でした。 コンパクトな平屋の横には、かつて祖父が営んでいた工場がくっついている。 玄関を開けると、目の前の棚に並ぶ、さまざまな大きさのトロフィーが目に飛び込んで来ます。 祖父母はずっと社交ダンス

    • 急がば回れ。 感情もね。

      毎度、新月や満月の前には、何かしらの感情があふれがちになります。 明日に満月を控えた今日は「さみしい」が出ていました。 昨日から始まっていたんですけどね、それが続いていました。 以前、床が水浸しになりそうなくらい「さみしさ」を感じていた時期があり、その時に取り組んだのがこちら。 これ以降、「さみしいってどういう感覚だっけ?」と思うくらい、さみしさが癒された感覚があったんです。 それが今回は出てきました。 鍋をきれいに磨いたと思ったのに、まだこんな所が焦げ付いてたか!と

      • 1対1のパートナーシップに憧れる自分と、全くそう思っていない自分がいるって話。

        noteを書きはじめた頃に考えていたことがあります。 それは「わたしはポリアモリーなのかもしれない」ということ。 ポリアモリーとは簡単にいうと、誠実でオープンな複数恋愛。 そして、それを生活スタイルに落とし込んだもののこと。 ↓詳しく知りたい方はこちらをどうぞ。 当時は、世間(仮)の目が怖くて書けなかったんですよね。震えてた。 何より、今よりもはるかに内側がこんがらがっていて、わからなかったんです。 正直今でもわからないというか、明確にはなっていません。 でも、以前

        • あなたはあなたのプロセスを、わたしはわたしのプロセスを歩む。

          生きていると、たくさんの人と出会い、数えきれない出来事を体験し、色とりどりの感情を味わいます。 プロセスは人それぞれ違う出来事は大抵の場合、人と人との間に起こります。 「なんでこの人とはいつもこうなってしまうのか、、」 「どうしてこのタイミングでこんなことが、、」 自分ではコントロールできないようなことも多々あります。 同じ出来事を共有していても、見ている景色は人によって様々です。 味わっている感情も、さまざま。 こんな風に、視点が違うんですよね。 自分の景色は自分

        あの頃、池上本門寺は「ほんもんじ」だった。

        マガジン

        • 関係性について考えるマガジン
          12本

        記事

          どこにいても、誰といても、自分でいること。

          人とのコミュニケーションがこじれてしまうのって、どうしてなんだろう、、と考えていました。 その問いかけに対して湧いてきたことは、 「場所によって、語られる言葉が違うこと」 でした。 場所によってというのは、「相手によって」と言い換えられます。 「この人にはなんでも話せる」 「この人にはあのことは言えないな」 もしかしたら、その場その場でたくさんの顔を使い分けているかもしれません。それも無意識に。 もちろん、TPOは考慮した方がスムーズな場合も多いです。 けれど、関係

          どこにいても、誰といても、自分でいること。

          Sigur Ros/Hoppipolla

          家庭料理レストランであるtiny peace kitchenから「こころ部」が発足し、その活動の一環として「タイニーピース・ダイニング」が始まった。 わたしはスタッフだが、参加者としても楽しんでいる。 「タイニーピース・ダイニング」に参加すると、もれなくFBグループに招待され、「ご自愛コミュニティ」参加することができる。 うまれたてのコミュニティでは、「ご自愛おんがく部」なるものがふわっと立ち上がった。 音楽好きのメンバーが、不定期で各々の「ご自愛おんがく」をシェアし

          Sigur Ros/Hoppipolla

          noteを30日間毎日書いてみて。

          noteを10日間連続で投稿するチャレンジをはじめ、せっかく10日間書いたのにやめるのはもったいない、、という思いから、期間を延長して30日間書いてみました。 日付けが変わってから投稿した日も何日かありましたが、「寝るまでは今日である」とカウントしています。 とにかく「毎日書く」にこだわったので、キレのいい文章と、そうでもないのと、さまざまでした。 noteを書きはじめて、よかったな〜と感じたことがあります。 わたしは「どんな自分も置き去りにしない」というモットーのもと

          noteを30日間毎日書いてみて。

          「どんな自分も認める」のは、肯定するのとはちょっと違うかも

          「どんな自分も置き去りにしない」をモットーにnoteを書いています。 そのために、自分に湧く感情を通して、自分自身のいろいろな側面を発見し、認めるという作業をします。 そこで大切なのが、どんな感情も否定せずに、ありのまま存在を認めるということ。 以前は、認める=肯定するだと思っていましたが、実際に「認める」作業を積み重ねてみて、認めるというのは、肯定するのとは違う事なんだと感じています。 こんなイメージです。 否定という側面があり、肯定という側面があり、そのどちらにも

          「どんな自分も認める」のは、肯定するのとはちょっと違うかも

          日報という名の日記

          本当は別の記事を書いていたのですが、あまりにキレがわるいのでそちらをやめて、日記にします。 (わたしは飲食店スタッフですが、コロナの影響によりリモートワークしています。今はオンラインイベントとか、ライティングのお仕事をさせてもらっています。) 満月まであと2日朝起きて、YouTube動画をお手本に太陽礼拝をする。(3日目) 自粛生活が始まってから、主な飲み物は白湯です。 コーヒーは欲しくならないので、以前とバランスの取り方が変わっているんだろうな、と思っている。 午前中

          日報という名の日記

          からだって案外おしゃべりだ ③

          先日、夜な夜なからだミーティングを開催しました。 その時の議事録がこちら⬇︎ あれから20日ほどが経ったので、ミーティング後のわたしの対応と、その後のからださんのことを書こうと思います。 からださんからの要望に対して取り組んだこと要望① 寝る前に、電気を消してからYouTubeを観るのを控えてください。 短時間と思うかもしれませんが、負荷をかけていると気づいてください。 こちらの要望に関しては、せめて電気をつけた状態で観てくれという意見があったので、そちらを採用しまし

          からだって案外おしゃべりだ ③

          意識は高い方がラクだ。

          意識高い系(笑)って言われるのがイヤで黙っていましたけど、わたしはこの8年間くらいずっと意識を高くすることに取り組んできています。 意識とか言うと、ひと昔前は宗教?と言われるのが面倒で黙っていました。 (みんなそれぞれの真実を生きているという点において、宗教みたいなものかもね、と最近は思います。) もっと前は、火あぶりにされるのを避けるために黙っていました。 でも、もう令和ですから、いいですよね。 ビジネスマンがこぞって瞑想する時代です。 さて。 意識高い系って、揶揄

          意識は高い方がラクだ。

          「正しさを証明するため」ではなく「必要なこと」だから喋る。

          オンラインでもオフラインでも、職場でも家庭でも、口でも文字でも、人と話す機会はたくさんあります。 「話し合い」や「議論」のような場で、積極的に活発に話すのは、おもしろいですよね。 一生懸命に話している時、ふと「わたしはいま、自分の正しさを証明するために話してやいないかい?」と思うときがあります。 そんなとき、自分から自分に対して、視線のようなものを感じるんです。 そういうときは、大抵焦っていたり、イライラしていたり、モヤっとしていたり、という感覚があります。 気づかずに

          「正しさを証明するため」ではなく「必要なこと」だから喋る。

          人は共振するもの。

          「女王の花」という漫画を読みました。 予め言っておくと、これは純粋な「漫画に対する感想」ではないので、お気をつけください。 全15巻。 一言でいうと、すごい美人のお姫さま(後の女王さま)と、それを命がけで守るイケメン奴隷の身分違いの恋の話。 二日間かけて一気に読みました。 読了後の感想は、なんだかすごくしんどいです。 いや、、ものすごくしんどい、、なんだこれは、、 漫画には何の罪もありませんが、舞台設定がいわゆる「動乱の世」なのです。 それぞれが、それぞれの正義のた

          人は共振するもの。

          何をするかより、なぜするか、の方が重要な場合がある

          なにか行動を起こすとき、ついつい「何をするか」にばかり目を向けてしまいがちになります。 たとえば、仕事で成果を出したい、としたとき。 どうして成果を出したいのでしょうか? 仕事はそういうものだから? 上司に褒められたいから? 他の人より有能だと思いたいから? 自分がそれがしたいから? 人に喜んでもらいたいから? もう一歩掘ってみますか。 どうして褒められたいのですか? どうして有能だと思いたいのですか? どうしてそれがしたいのですか? どうして喜んでほしいのですか?

          何をするかより、なぜするか、の方が重要な場合がある

          喜ぶことが、こわいだなんて!

          内側を探検していると、「そんなまさか!」というものを発掘することがあります。 いろいろありますが、今日は「喜ぶことがこわい」について。 こわいから、抑圧してしまう。 抑圧というと、怒りや、弱音を吐くことの方がわかりやすいでしょうか? 誰だって喜んでいたいでしょ?って。わたしもそう思っていました。 でも、先日発掘したのは「喜ぶこと」に対するこわさ。 100%手放しで、喜んでいいものだろうか?と無意識に思っていました。 こわい、をさらに覗き込んでいくと、 ・そんなうま

          喜ぶことが、こわいだなんて!

          感謝の味。 ②

          「感謝がない人」というと、あまりいいイメージがありませんよね。 わたし自身「感謝がない/知らない」人でした。 でもそれは、ただ単に「発掘」できていないようなものだったのだ、と感じています。 その頃は、正直者の年上の友人に「感謝がないんだよ」と言われても、自分ではピンときていませんでした。 自覚がなかったんです。 「感謝がない」=「悪」というイメージもあったので、認めたくない気持ちもあったのかも。 「ありがとうって言ったじゃん」くらいに思っていたかもしれません。 口で

          感謝の味。 ②