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もうサバイバルしなくていいのか。

最近、自分自身に対して感じた変化について書きます。

わたしの中には「自分だけが欲しい」というような、食べ物も経験も愛情も、分け合ったら自分の分が減る、というような意識がありました。

子どもの頃、おやつを買ってもらいたくて母にお願いすると「妹と分けて食べるならいいよ」と言われることがありました。その時にわたしは「ならいらない!」と答えるのです。

食べられるならいいじゃないと思うけれど、そうではなかったんですね。

わたしが欲しいのに。わたしだけが欲しい。そうじゃないなら、いらない。

けっこう苦しいんですよね。奪い合いの中で生きているってことだから。

そんな内側のサバイバルな世界に、変化が起こってきました。

最近はやたらと、人と共有したがるようになりました。おやつとか、朝食とか。

ひさしぶりに一人暮らしをするようになった、というのもあるかもしれません。

食べたくて食材を買っても食べきれないし、せっかくおいしいものなのに、1人で食べてもつまらないな、と思うようになった。

よろこびが増幅するって、こういうことなのかな。

それも、相手のためにとか、やさしくしてあげようって思っているわけではないの。

そうしたほうが、わたしがうれしい。わたしがうれしい事をしたら、相手がうれしくなる。喜んでもらえたら、またわたしもうれしい。循環する。

これ、わたしにとっては小さな革命で。だって奪い合いのサバイバル世界から、分かち合ってよろこびマシマシの世界への移行なのだもの。

ようやく、、?!という思いも湧くけれど、ようやく、、!です。

この頃、自分のホンネを尊重することを意識していたことも、「もう奪い合わなくていい」という安心感の土台づくりになっていたのかもしれない。小さなホンネを聞き逃さないように、気をつけています。

それについてはまた別の機会に書く、かもしれない。


わたしが書くのはごく個人的なことですが、わたしひとりをとっても、いろんな側面があります。ほかの誰かと、どこかの側面で共鳴することがあるかもしれません。みんなすこしずつ重なりあっているのかもしれませんね。