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買った順に読むとはかぎらない

積読の二文字にびびんと見覚えのある方は全員お友達です。よろしくお願いいたします。

高校生くらいまでは、小説を買ったその日か翌日には読み切るというスタンスをなぜか保てていたので、積読なんてしたこともなかった。たぶん気になる作家さんがある程度限定されていて、本を読めるときに買うというのが普通だったからだと思う。高校生のわたしに積読ということばを投げても、よう知らん本の宅配サービスかなにかと勘違いするだろう。Amazonの置き配か?

小説以外に詩歌ジャンルの本を手にとるようになってから、わたしの本棚に積読の風が吹き込んできた。最初はすきま風くらいだったのが、あれよあれよと風力を増し、いまや見えない積読トルネードが吹きすさんでいる。読む時間は保証されていないけど、ここで買っとかないと後悔するぞい……と40年後のわたしがよぼよぼと呟いてくるので、必要な本はそのときに買う。小説だったらすぐに読み始めて当日中に終えるのだが、短歌や俳句は読み始めるまでのこころの準備が要る。わたしだけだろうか。表紙をひらくその瞬間、いまこの韻文芸術をわれの脳に注ぎ入れん、全集中のうえ刮目せよ! という感じ。完全に伝わったようで安心した。ありがとうございます。

散文をすいすい読み進められるのと比べて、韻文はひとつひとつの作品に重みがあって、その音数とその韻律であることの意味を都度たしかめながら読んでいくから時間がかかるのかもしれない。小説で「わたしは今日、」とあっても短歌で「わたしは今日、」という初句だったら身構えるし……いや、ぜんぜん的を射ていない比較かも……とにかく文芸ジャンルによって積読具合が変わるんですよね、という自分語りでした。

今日は京都文学フリマの日、行きたかった~~~!!!
平安神宮あたりで開催されていたはずなので、あの辺の京都グルメを思い起こしつつ寝ようと思う。もしおいしいものを食べたよという方がいたら教えてください。わたしが喜びます。

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