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チェーン店嫌いだったころ

学生のころ、美食の街京都に住んでいるという自意識がそこそこ高かったため、チェーン店にはめったに行かなかった。喫茶に行くなら個人経営の小ぢんまりしたところとか、有名どころだとイノダコーヒーやスマート珈琲、六曜社……とにかく、この土地のここにしかないもの、というのがわたしのなかで絶対的だったのだ。脳のグルメ野のあたりが、いずれ京都は離れるんだぞ~と予見していたせいかもしれない。

当然ながらコスパは悪い。天下のスタバ様はともかく、ドトールやベローチェのコーヒーではなくて、良い感じのお店だったら並んででも入っていたのでタイパもまずまず。それでもやっぱり、そのお店ならではの空気感というか雰囲気も含めて味わう時間がなによりも癒しだった。

喫茶店にかぎらず、飲食店全般に対してその姿勢をつらぬいていたため、たとえば友人とマクドナルドに行こうという流れになると、久しぶりすぎて逆にテンションが上がるという謎の展開がうまれた。はじめて食べたフィレオフィッシュには感動したものだ。チェーンあなどるべからず。で、そういうときに流し込むコーラがうまいんよこれが。半年に一度のカラメル色素の味、あれは初恋の味だったんだろうか。きゃっ。

働き始めてからもチェーンはなんとなく避けていたものの、徐々にわたしのなかでのチェーン店に対するハードルは低くなっていった。いやもともとハードル低いのがチェーン店の良さなんですけど。初のリンガーハットでは、普段の野菜不足をなかったことにしてくれる(なかったことにはならない)野菜もりもりちゃんぽんにじーんときた。コメダのナポリタンの麺のもちもちな仕上がりに、てんこもりサラダとバゲットまで付いてくる計らいにおなかもこころも破裂した。

最近のお気に入りは餃子の王将と鳥貴族である。だいたいどこにでもあるのが強いと思う。だからそれがチェーン店の良さなんですけど。ただし一度、イタリアンのあとの二軒目でうっかりトリキに行ってしまったのだけは後悔した。ワインからのビール、ピザからの皮タレはなかなかキツイものがあった。たぶん、チューハイと枝豆くらいにしておけばよかったのに、欲望と胃はいつも手をつないでいるわけではないらしい。イタリアンはイタリアンのまま終えておくのがよいのだな、と学びました。

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