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無茶振りはチャンス

今日もお読みいただきありがとうございます。
フォルケ学園の眞山です。

プレゼンテーションやコミュニケーションを題材に、
6歳からシニアまで幅広い世代に授業やセミナーをやらせていただいています。

今でこそ「プレゼン」という題材でお金を頂ける身分になりましたが、
もちろん最初からプレゼンが得意だったわけではありません。

そんな中、
自分がプレゼンテーションに自信を持ったのはいつからかというと、
とある「無茶ぶり」がきっかけでした。

※一応プロがやった仕事なので守秘義務もあると思い、ストーリーの細部は脚色しています。

手羽先と生ビールを食べられなかった29歳の夜

何年前かもう覚えてもいませんが、たぶん2009年か2010年あたりです。
…ってことは10年経ったのか。っていうか、その時自分20代か…。

その頃私はとある大手監査法人で勤めていたのですが、上司とともに、とある大企業(日本一の企業、で思い浮かべるあの会社です)のプロジェクトチーム向けにプレゼンテーションの準備をしていました。

私は何度もスライドのドラフトにダメ出しをされてイライラしながらも、少しずつクオリティが高まっていくPowerPointに自信を抱きつつありました。緊張はありませんでした。理由は簡単で、プレゼンはあくまで上司が行うから。そんなわけだから私は前夜にどんな名古屋めしを食べようか、くらいのことを考えながら準備を進めていたわけです。

無茶ぶりの瞬間が訪れたのは、出張の前日のことです。
待望の手羽先にかぶりついていた自分に、突然新幹線で名古屋に向かう途中の上司から電話がかかってきました。

「眞山さんごめん、〇〇さん(所長の名前)から緊急で会議に戻って来いと言われたので、明日は挨拶だけしてすぐ帰るわ…プレゼンできるっしょ?」

心の中で「できるっしょ?じゃねえよ」と思ってました。
が、同時に、新幹線に乗るだけ乗って「帰ってこい」と言われてしまった上司が少し不憫にもなりました。上司にしてもこれだけの大きな会社で話す機会はめったにないわけで、上司がどんだけ入れ込んでいたかは日ごろのコミュニケーションからも十分に感じていたのです。

そんな上司が言うんだから、よっぽどの緊急時なのだろう。
というわけで、「わかりました」と、言うしかありませんでした。

せっかく頼んだ大ジョッキを一口しか飲んでいないタイミングだったのですが、これ以上酔うわけにもいかず、そのままホテルに戻ってプレゼンのスライドの確認をしたわけです。

翌日。思ったより緊張感のある場。

某大企業の会議室では、想像以上に偉い人たちが待っていました。

会社の人たちしかいないと思っていたのですが、「プロジェクトチーム」には、地元の大学の名誉教授を座長に、産官学のお歴々が座っている。

何なら某大企業にとっても「お客さんを座らせている」状態。頼むからちゃんとやってくれよ…失礼なことするなよ…という空気しかありません。上司は最低限の挨拶だけして「あとは頼む」とマイクを渡して急いで消えていき、、、独りぼっち。

20代の若造が、
すげー人たちに囲まれて話す2時間。
…の後に、質疑応答が1時間。

申し遅れましたが、
その時のプレゼンの題材は「財務諸表監査の概要と意義」。
いくらでも易しくでき、いくらでも奥深くできてしまうお題。
大学の期末試験なら気楽に書けば単位が来そうなお題だが、世界屈指の企業から報酬とともにリクエストされたお題ですからね…八田先生太田達也さんでも呼べばいいのに、っていうレベル。

「なんで僕はここにいるんですか」
途中で何度もそう思いながら、何とかやりきりました。

やり切れた。それが自信になっていった。

とてつもない脱力感。
某大企業の財務経理部の方が、カフェでコーヒーをおごってくれ、一応お眼鏡にかなった証なのか、僕の境遇に同情して労ってくれただけなのかはよくわからなかったが、翌日、「座長をはじめ参加者がとても満足していた」と言ってくれてようやく肩の荷が下り、「あ、帰りにひつまぶし食べるの忘れた…」とやっと思いだしたわけです。

何とかプレゼンをやり切れた理由を振り返ると、こんな感じかな。

・監査のことなら、腐っても僕はプロ。上述の大先生ほどではないにしろ、当時の自分にとって一番「語れる」分野でプレゼンができたことはラッキーでした。
・そして、スライドも上司ではなく、自分自身が練りに練ったものだったので、プレゼンの準備はある程度できていたわけです。質疑応答も、ボツにしたたくさんのスライドのことを思い出せば答えられるものがほとんどでした。
・さらに、質疑応答を一番たくさんしてくださった座長さんは大学教授だけあって、若者に質問するのが結構うまかった。あの日はあの座長が優しい空気を作ってくれていたんだな、、、と、相当の場数を踏んでようやく気付きました。

終わってみて、少しずつ自分に満足感と自信が湧き上がってきました。

大企業のプロジェクトチームで、曲がりなりにもプレゼンをやり切ったこと。座長をはじめ色々な人が、僕に「素朴な質問」をたくさんしてくれ、これほどの人たちが相手でも「自分が知っていて、相手が知らないこと」があり、自分が知っていることを伝えることで役に立てたという実感を得られたこと。それを、誰も見守っていない中でやり切れたこと。

そう言えば若手時代に学んだことがあった。

その時を境に、プレゼンテーションに関しては殆ど動じることなく、最後までやり切ることができるようになりました。もともと上司にオファーが来ていた社内研修なども、丸投げされることもふえました。

上司は丸投げする際も「あいつは俺より喋れるから」と口添えしてくれるようになり(当然リップサービス 兼 丸投げのための方便ですが)、私への期待値(つまりハードル)もその都度高くなり…結果、ビジネスシーンでのプレゼンはかなり鍛えられたと思っています。

そう言えば、自分がペーペーの時に、ある方が講演で「個人ブランドの作り方」を教えてくれたことがあるな、とその頃になって思い出しました。

「誰かの代役が飛んで来たら絶対に請けろ。そして殺人的なスケジュールになってもいいからやり切れ。そうすると、ずっとその代役を任されるようになる」

確かにそういう例はスポーツの世界でもたくさんある。
サッカーの川島永嗣もそうだし、
サッカーの岡田武史もそうだし(例えの幅せまっ!)。

大手の監査法人という看板ではなく、公認会計士という資格でもなく、眞山徳人という人物をブランディングするには、地道に努力するだけじゃだめで、チャンスに食らいつくことが絶対に必要だ、ということでしょう。

川島永嗣も、日本代表の正GKの座を射止めるまでは、
「日本代表GK」のひとりではあったが、そう説明しないと分からない。
いや、そう説明したって「え?GKは川口能活でしょ?」って
聞かれちゃうような状態だっただろう。

が、岡ちゃんの無茶ぶりで正GKを務め切ってからは、
侍ブルーの守護神の名は彼のものになったし、
そして「川島永嗣」という名前で本を書けば、売れる。
たとえそれがサッカーじゃない内容でも、だ。

そして、
この手の無茶ぶりには、「所詮無茶ぶりだからミスっても自分のせいにならない」という開き直りの余地があるというのも、実は良いところだったりするのです。

さて、いつも通り話を教育にもっていく

学校の現場って子どもたちへの無茶ぶりが少ないと思いません?

・学芸会とか運動会の練習もありえないくらい繰り返すし。
・ここがテストに出るよ、ってめっちゃいうし。
・卒業式も「そんなに練習したら本番で感動できねーよ」ってくらい練習するし。

失敗しないようにしてあげるのは、確かに子どもが成長するときに自信を失わせずに済むので、ある程度は必要なことなのかもしれません。

が、実は教育の現場でこそ、色々な無茶ぶりを試してほしいという気がします。失敗させないことと同じくらい、「失敗したって大丈夫な場所を作ること」が大事だと思います。

浮き輪を付けたままでは、溺れないように泳ぐことはできません。
僕らが泳ぎを覚えるためには、浮き輪を外すしかない。
でも、溺れる前に足がつく程度の深さのプールで練習すれば、溺れることはまず無い。

で、25メートル泳げると「俺でも出来んじゃん!」って急に自信がつく。

…そこにリスクある?ないよ。
少なくとも、ないようにしてあげることは出来る。

そういう場をたくさん作ってあげたら、
レジリエンスやらアクティブラーニングやら非認知能力やらは、
それだけで結構解決するんじゃないかと、思います。

長くてごめんなさい。

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