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これまで僕がボランティア仕事を断れなかったわけ

はじめに

この記事は、以前書いた以下の記事と関連したものです。

ボランティア仕事を断る理由を「依頼者側」に求める形で書き連ねたのがこの記事だったわけですが、当然のことながらこの手の問題は自分にも帰属する部分があります。

今回は矛先を自分自身に向けた形で書いてみようと思う。前回同様、以下のような方には参考になるのではないかと。

1)私のようにボランティアの仕事のオファーの多い専門職の方
 断るのが苦手な方はこの記事の中に僕と共通したご自身の「弱さ」に気づけるかもしれません。参考になれば幸いです。

2)ボランティアに従事している方
 あなたもまた「断れない人」かもしれません。そんなつもりで読んでみてください。

原因① 自己犠牲こそ美しいという、倫理の誤認

中学時代、学校周辺のゴミ拾いを行うという「奉仕活動」が週に1度行われていました。そのころ、先生方からは「奉仕活動とは、見返りを求めずに地域の人たちのために行う活動のことだ」という説明を受けましたが、これは実は根本的に間違っていたな、と思います

どちらかと言えば、学校周辺のゴミ拾いを行うのは「自らが居心地の良い空間」を作る行為であり、結果として周りの人も気持ちよくなるだけ、という解釈をすべきだったのです。

自分たちがその行動自体を楽しんだり、あるいはその行動の結果もたらされる便益を享受できるようなものを奉仕活動の範囲にしないと、持続可能な活動とはなりません。

ボランティア仕事も同様です。無償又は低廉の報酬しかもらえない時に心理的抵抗を感じるのであれば、それは自己犠牲です。一般的な商売におけるWin-Winやら三方よしの原則を満たしていないのだから、断らないといけません。

ここまで書くと、もしかしたらこういう質問が来るのでは、と思います。
「じゃあ楽しければ無償でやっても良いんだね?」

いいえ、違います。
え?と思ったら、続きをお読みください。

原因② 自分に値札を付けられないという経営能力の根本的欠如

いまだに、付き合いの長いクライアントからは「眞山さんもっとお金とって良いと思うよ」と言われます。恥ずかしながら、まだまだ自分のサービスの値段をびしっと付けることが苦手です。

僕と同様、ボランティア仕事を断れない方は、そもそも、日頃の(有償の)サービスにしっかりとした値段を付けられていないことが多いのではないか、という気がします。

フリーランスで仕事をしていると、相手が大手であったり公共性が高そうな組織だったりすると、向こうの理屈で価格を提示され、こちらとしてはそれに従うしかない…ということが多いのですが、そもそもサービスの売り値は、自分で決めるものです

日頃から「値札」を持っている人は、低廉な仕事を断ることができます。当然、ボランティア仕事だって断れるようになります。

今一度自分のサービスの適正価格をよく考えてみてください。
・自分が十分に幸せになれる値段か。実費の回収や生活の維持のみならず、余暇を楽しんだり自己研鑽に充てる費用を確保できる値段になっているか。
・自分が忙殺されない値段か。その単価で仕事を受けたとき、生活を成り立たせるために何件の仕事を受ける必要があるか。それで時間は足りるか。
・周囲と比べて安すぎない値段か。あなたが深く考えずに安い値段を付けることで、適正価格を付けている同業者をも苦しめることにならないか。

ボランティアか否か以前に、自分の適正価格の水準を下回る仕事の依頼は、断っていいのです。

ここまで読んで、
「私はまだまだ自分の値段を主張できるほどの存在ではない」
「だから今の時点では仕事の依頼は断るべきではないと思っている」
と思った方は、ちょっと勘違いをしているので続きをお読みください。

原因③ 「NOと言わない」というフリーランスの矜持

自営業の方、個人事業主の方、スモールカンパニーを経営している方はこの傾向が強いと思います。

依頼を断らない姿勢を見せることが、顧客の信頼につながるのはある程度確かです。

僕自身もいろいろな仕事に取り組んだからこそ、自分の適性を見つけることができたし、結果として優良クライアントとの出会いにもつながったし、自分自身をブランディングすることにも成功しつつありますが、この矜持は根本的に有効期限付きだという認識を持つ必要があります。

NOと言わない姿勢が意味をもつのは、あなたがどんな仕事をどんな対価で引き受けることが適切なのか、自分自身もクライアント側も理解できていない間だけです。

自分が強みを出せるサービスを見出し、クライアントもそこに価値を見出すようになったら、断ることが礼儀だと知りましょう。それが出来ない人は、以下の原因④も併せ持っている可能性があります。

原因④ 優しいつもりが、優しくない(顧客に対して)

ボランティア仕事を引き受ける姿勢を持つ人(というより、断る姿勢を持てない人)は、優しい人…のようでいて、実は「他人から優しいと思われたいだけの人」であることが多いです。ソース?もちろん僕自身です。

そしてその行動は、しっかりと対価を払ってくれているお客さんから見ればちっとも優しくないことになります。大事にしてくれている人を、大事にできていない。これって本当に正しい「優しさ」ですか?

原因⑤ 優しいつもりが、優しくない(依頼者に対して)

いっぽうで、ボランティア仕事を依頼してきた人にとってその「断れない姿勢」が優しいかというと、全然優しくないのです。

関連記事に書いた通り、ボランティア仕事に従事している人はたいてい「搾取されながら搾取する」という構造を担っています。しっかり断ることが、その螺旋をほどくことにつながります。

まとめ

要するにこういうことです。

ボランティア仕事を断れなかった過去の僕は、
・自己犠牲こそが美しいと思い込み、
・自分のサービスの適正価格もわからないまま、また
・NOと言わないというフリーランスの価値観を捨てられないまま
・ただただ優しい人と思われたい一心でありながら、
・じつは優しくもなんともない人間として、
ボランティア仕事にいそしんでいた。

ボランティア仕事の周囲にいる皆さん、今からでも少しずつご自身の行動を変えてみてください。そんな自分を一つずつ変えるだけで、自分を楽にしてあげることができます。そして、それは周囲にもポジティブな影響を与えるものだと僕は信じています。


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