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44. 働き始めてから映画を1000本みたら、少し優しくなれた気がする

映画と優しさの関係性の話。

観た映画の記録をつけ始めてから1000本目の映画を見終えた。社会人になってからなので、忙しいライフスタイルの中、これだけ観たことにほんわかとした達成感と、我ながらなぜここまで観続けられたのだろうという自分への疑問が浮かぶ。年間100本未達だった年はないので、10年間。だいたい3日に1本ペース。簡単そうで、何度かあったピンチやブランクを考えると、そこそここだわってやらないと達成できない数字でして。映画っていうトピックは世の中にいくらでもフリークがいる訳で、一介の会社員が1000本観たからといってそれ自体、特別なことではないと思いつつ、実際にどんないいことがあったのか、記念に実感を文字にしとこうと思います。

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なぜこの忙しい仕事の日々の合間に、二時間拘束ほぼ確定で、視覚も聴覚も持ってかれてマルチタスクに向かず、英語字幕だとさらに集中しないと楽しめない形状の「効率の悪い」コンテンツが趣味として続いたのか。

まずひとえに、視点の獲得があると思うのです。

映画は、たった二時間で、いろんな人生を疑似体験できる。その人から見える世界がどのような色をしていて、他者がどんな存在に見えていて、日々の暮らしがどんな1分1秒の積み重ねで進んでいて、その土地や町や風土や歴史がどうなっていて。それをふんだんな情報と表現でもって、どんなに疲れていても2時間で一回りできる。能動的に読み進めない限り何時間でもかかる小説よりも自分にはあっていた、っていうのもあるけど、社会人になるまでモノカルチャーな世界を生きてきて他者への想像力に欠けていた自分にはとても、役に立った。インサイトを仕事にしようとこの10年間で徐々に確信を持てたのと、映画を観続けた期間は、今思えば符合しているし。

大事なのは事実の勉強だけでなく、「想像力」にこそあると思うのです。よりファクトフルに知る方法は、本でありネットサーフィンでありフィールドワークであり、他にもたくさんあるし、適宜並行して取り入れているけど、映画はあくまで、ドキュメンタリーを除けば、嘘で作り物でしょ。それが、僕にはよかった。「実際はこうじゃなかったかもしれないけど、もし本当にこうだったら」と、そこにひねりなりノイズなりが入っているだろうと思って観ることが、他者の視点に確実なことなんてそもそも一つもないということに、意識の底で繋がったんだと思う。人は自分の考えすらままならない生き物だし、嘘ともおもわず嘘をつくし、矛盾するし、勝手に脳で妄想を使って補完をする。それを「想像力」ともいうのだとすると、虚実入り混じって一つのリッチな2時間を提供する映画は、事実主義的で想像力に乏しかった自分を大いに、世界はそれだけじゃないという真理に行き当たらせてくれたように思う。

もう一つは、演ずるということをとてもよく、観察できたことにある。

演技がうまい役者さんに最大限の畏敬の念を持っている。自分がそういう人間であるということに、映画を大量に見るまで全く気づいていなかったのだけど、見るにつけ僕が好きな映画は結局、役者で決まっているように思うのです。試しに書き出してみるけど。

シアーシャ・ローナン、ソン・ガンホ、松岡茉優、マット・デイモン、樹木希林、エディ・レッドメイン、ロビン・ウィリアムズ、ケイト・ブランシェット、メリル・ストリープ、山田孝之、柄本明、菅田将暉、クリスチャン・ベイル、ダニエル・デイ=ルイス、蒼井優、ゲイリー・オールドマン、エマ・ストーン …

他にもたくさんたくさん、あげればキリないけど、この辺の人たちが出ている映画は基本観ているなあと。「うまい」ってなに?ってなるとそれは演技論に詳しい人とやりあうほど専門的にはわからない。でも自分が直感的にうまいと感じるのは、その人がいかに人間の心の機微やそれと連動する身体の動向をわかって「嘘」をやっているか。そこの興味があるのだと思う。その人が人間を見る目の「メッシュの細かさ」に、「人間業」という広義の意味で同業に属しているつもりでいる私は、畏敬の念を抱かずにはいられないのです。それと同時に大変僭越ながら、時に演技をみて、ああその時のその人のその仕草に、この役者さんは気づいてやっているのだなあと感じる時に、何か同志というか、この人は信頼できると思うことすらある。自分は人を、「その人が他者のことをどれだけ丁寧に見ようとしているか」に、信頼を感じるんだなってことも、映画1000本みて気づいたことの一つ。

書いてみてわかったけど結局は、「視点」の話だということ。色々な作品から世界を見る「視点」の拡張を教わり、一人の役者の演技の精細さから他者への「視点」の深さと細かさを教わった、そんな気がする。そうやって想像力を少しずつ得ながら10年、過ごせたこと。映画によって、視点と想像力の関係性はとっても、好循環にできたんだと、切に思います。そしてそれは、少しだけ、優しさにもなっているんじゃないかなと。自分の中に多様な視点を持つこと、そのために他者のことを細かいメッシュでよく観ること、そしてそれが出来た時や伝わった時に嬉しいと感じること。そのことの積み重ねの上の、ほんのりした優しさ。悪くない気がします。映画と優しさの関係性は、人が人を観るメッシュの細かさへの畏敬の念で、繋がっていた。

これからも全然違う人生に、全然違う視点で他者を見る役者の方々を通じて、触れていけたらと思う所存でございます。1000本の記録はこちらです。何気に1000本観るより、1000本記録つける方が大変かつ勉強になった感もあるので、よかったらみてみてくださいー。

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2018年で更新途絶えてしまっていた、「なりたい気分を教えてもらって、その人に映画を3本レコメンドする」やつ、またゆっくり始めたいと思います。気軽にお題、いただければと思います。


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