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逆向きの電車に乗れる自分らしさ

朝から埼玉のとある大学の先生にヒアリングをしに行く日だった。まあまあ遠いのだけど、たまにはこういうのもリフレッシュになります。賛同者がいることに淡い期待を抱きながら書くけど、「人がのぼりに乗ってる時間に、くだりに乗る」のが、嫌いじゃない。むしろ結構好きかもしれない。平日に休んでどこかに遊びにいくような錯覚を覚えるからなのか、単純にすいているからむかいのホームですし詰めになっている人々をしり目にゆがんだ優越感を感じているだけなのか、あるいは何か人と逆行したことをできる自分でありたい!という中二病が心の奥底でまだ生き残っていてそれがいくばくか満たされているだけなのか。

人と違うことを平然とできる自分でありたいと、一度は人間思ったことあるんじゃないかなと思うわけです。変人ぶってみたり、みんなが欲しいもの、好きなものを「別に」とうそぶいてみたり、なんだかそういうことを自分のアイデンティティをどうにか獲得しようともがくさなかで考えるもんなんでしょね。そうやって「他人ではない」という逆説でもって自分に輪郭を引こうとする。まあでもそれって「≠」にしかならない気もする。

ほんとに人と違うことを臆面もなくやってのける人は、「人と違うかどうか」とか気にしてない。「これは普通なのか、変なのか」とかかんけーなく、どっちかというと、「どうやら自分にとっての普通と、あいつにとっての普通は、違うらしい」くらいにしか思わないんでしょうね。ただただ平然と、「今日は午前中に郊外の大学かー」と思いながらくだりの電車に乗る人。自分はどうもそうじゃないらしい。

まあ、電車なんてしょせん行先が決まってるものなので、のぼろうがくだろうが、大して「人に逆行した」なんて大げさなことじゃない。行先がわからなくても逆行できる勇気がほしいなあなんて、考えてるうちについてました。出勤途中にふと思い立って、そうださぼろうと思って、くだりに乗ってしまえるような人間でわたしはありたい、なんてね。

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