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生き抜いたと認めてもいいんじゃないだろうか。

この10年20年よく聞く言葉になった毒親とアダルトチルドレンという言葉。この登場に安心したり、気付いてもらえたんだと好んで自分を称する言葉に使ったりする人達が多くなったり。
そこからの仕方ないよねとかの話ではなく、名乗らないできたけれど私はその界隈というお話を。

ここ最近、それをもう吐き出すしかないなといういっぱいいっぱいな状況が続いておりまして。この1年、難聴になったり、顔が腫れ上がったり、足に静脈瘤が出来たり、急なアレルギーのアナフィラキシーで運ばれたり、どうにも保てなくなってきたので、外に出します。

これはきっと毒。

一年前、父が脳出血で倒れそのまま現在も入院中で。そりゃ、影響大きい訳です。私は40代。別世帯。家族あり。実家はまぁまぁ近く。それにより、父が身近で押さえ込んでいた母が完全に解き放たれました。普段父は厳しい事を言ったりするなという印象があったけれど、母がかなりやっちゃってたんだろうなと今になるとね。お姫様育ちではないのに自分はいつまでも姫なのか女王なのか。場合によっては誰よりも可哀想な恵まれない女性になる訳で。
初めは、認知症の始まりかと心配して何とか病院に連れていったりもしたけど、検査はギリギリクリア。たくさんメモしていった問題の部分って、姉と話しても昔からそうだったよねと必ず行き着いてしまって、子供としても何が何だか判断のしようがなく。今回病院に連れて行ったのは70代後半、車の運転について判断してもらいたくて。エレベーターのボタン押す様子などを見て空間認知が心配になり、周りの人に聞いたら運転が危ないと。本人にそれを伝えて運転はもう優良ドライバーのうちに辞めようと促したら激怒り。誰だ、その悪口を言ったやつはと。それでも病院好きな母は検査は受け入れてくれたので、それで解決かと思いきや、認知症の検査をした病院と私がグルになって騙そうとしてると強く主張する展開に。脳の写真でだいぶ前の小さい脳梗塞部分も見つかったのに結果は全て嘘だと思ってます。これも認知症っぽい行動ですが、元々そうだよな…という印象も強く、それが続いております。私の耳の聞こえは悪いままです。

「毒親」って、流行り言葉のようで自分で話題に出した事もなかった単語ですが、毒親の毒部分の言い得て妙感が何とも。言葉の的確さに驚き。それが全てを語れる二文字。子供時代の養分に毒が含まれていた人間の体内には毒が溜まり続けておりまして。あれは毒だったんだという気付きをさせてくれる二文字。

即効性だけではなく、何ともじわりじわりと染み込んで広がって。
子供時代、張り巡らされた根から吸い上げるしかなかった養分。暴力や暴言だけでない、善からなる温かく必要に見えるものすら毒。ジャンルでいうと、過保護・過干渉という事になるのかな。私は自由が欲しかった。

愛情からくるギュッとした押しつけだったと感じつつ、食事に白い粉が混ぜられてる時もあったり。優しい愛情からの粉。もちろん毒ではなく、体に良いとされてる何かだったんだろうけど。神経質でありながら、適当で器の縁に付いてたりしていて、そりゃ私も尋ねる訳で。指摘し続けても入り続け。私が20代前半で健康診断で引っ掛かり続けて仕方なく母に少し大変な病気の疑いがあるみたいなんだよねーと伝えた日の夕飯からお正月にしか食べないレベルの私の好物が並んだり。飲み物には全て何か粉、お味噌汁にも粉。まだ病気も確定してないから、何に効くでもないのに。教えてもらえなかったあの粉は何だったんだろ。会話が難しかった事の一例。

どうしていったらいいか分からずも毒だとその時は思わずも、ただただ離れたいと。友達と遊んだり、ライブやお祭りに行ったり、友達や姉と話したり、髪を短くしたり。ただそういう事をしたかった。食べ物も住む所もあり、少々多めの教育を受け、恵まれてる事は分かった上で苦しくて、自由になる為には時間が経つのを待つしかないと最短の方法を考え続けていた。

#毒親 #アダルトチルドレン #子供時代  #自分と向き合う #自分の人生  #エッセイ  #日日是好日 





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