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#2 観光地から消えたもの

2020/02/29

今ではローマのどこを歩いても、まったくもって中国語を聞くのが珍しいことになっている。アジア人の顔を見かけたと思ったら、大抵みんな日本語を話しているというのがローマでの日常だ。

今日は、前回のイタリア滞在中に行きそびれたサンピエトロ大聖堂のクーポラに登った。息をのむほど綺麗な写真を友人に見せてもらってから、次にローマに行く機会があったら絶対に行きたいと思っていたところだ。

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ここはいつも人の行列が絶えずできており、クーポラに登るというと待ち時間があるのは当たり前。そんな場所にまったくひとがおらず、待ち時間ゼロで進んでいく。周りに見渡す限りいわゆる西洋人という感じの堀が深い人ばかり。今までどこに行っても中国人を見ない場所なんてなかったのに、いまは見なさすぎて少し寂しさを覚えるほど。なんとなく人のしゃべり声のボリュームとかも彼らがいないせいで、どこか耳が寂しい気もしてくる。観光に来ている方々は、全く混雑していないこの状況に人が少なくて幸運だなと感じたりしていたのだろうか。バチカン市国に足を踏み入れた瞬間から、人口密度の小ささはすぐに感じ取れる。なんか変な経験だったな。

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留学期間中に家族に葉書を送ることがマイブームになった私は、あと2週間で帰るにもかかわらずバチカン市国のスタンプがもらえるワクワク感に突き動かされて、思わずポストに葉書を投函。イタリアの郵便はめちゃくちゃ遅いので、きっと私が帰国した後に届くんだろうな。家族に対して「元気に過ごしていますか?」といつもどおり書いたが、よく考えたら自分で帰国してから聞いた方が早い。そんな自問自答を頭の中で繰り返しながら、帰路についたのだ。

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帰りのバスでは、イタリアの人たちはやはりアジア人の私たちを見るなり一瞬ビクッとするのだ。しかし、ビクッとするなり何も驚いていないかのように平静を装うと頑張っている姿が見て取れる。無意識に反応してしまうというレベルにまで達しているというのは、普通にアジア人差別だ!と叫ぶので終わってしまうこととはまた違うことが起きている気もした。無意識の差別、という言葉もあるが、それと同じものなのか。それともまた違った種類のものなのか。

人びとが未知のウィルスに立ち向かうときの窮極の姿を、私たちはこれから見ることになるのだろう。

日本と同じように、コロナウィルスが最初に広まり始めた場所のひとつとして、ヨーロッパのコロナ震源地になっているイタリア。一刻一刻、言葉の通り絶えず状況が変わっていく。

自分たちも、3日からはサルディーニャ島に移動だ。
有り難いことに私たちをホストしてくれる農園は、わたしたちを受け入れてくれるらしい。お客さんだからかもしれないが、そこには確かにいままで気づいてきた関係性があるから、よくわからないどっかから来たアジア人ではなく、1ヶ月間弟子として家族の一員として生活した日本人大学生が来るから、という安心感もあるのかもしれない。

今日は美味しそうな海鮮を手に入れたので、海の幸パスタスーパーマーケットの人たちは、あまり手が触れあわないようにレジをしてくれたな。眉間にしわを寄せながら対応されると、かなり精神的にくる。

明日はお買い物と夜ご飯はみんなで外食。
ケニアで着ていた服はかなりボロボロだったのでほとんど捨てて、残りの薬をリュックいっぱいに詰めてきたという感じ。ゼミの同期の子のおかげで、Tシャツを何枚か譲り受けて生き延びている。いい感じの服が見つかると良いな。

お天道様、今日も1日お世話になりました。
明日もどうぞよろしくお願いいたします。

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