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うつは、たしかに人生の転機となった

読者の皆さんは、人生の転機と呼べるような出来事を経験したことがあるでしょうか。私は、うつになったこと、またそれによって退職したことが、人生の大きな転機になったと感じています。

今日は、先週末のエピソードを交えながら、そんなお話をしてみます。

◆ ◆ ◆

「M君がマホに会いたいから、Kさんたちと一緒に大阪来てくれるんだってさ」

夫のところに、私たちの同僚だった人たちから連絡が入ったらしい。

夫と私は同じ職場で働いていたことがあり、そのときの同僚4人がこのたび、私たち夫婦に会いにきてくれることになった。私は、現在夫の仕事の都合で大阪に住んでいるので、彼らは東京からわざわざ大阪まで新幹線に乗って来るということになる。

「あらま、そのメンツなら大阪で遊びたいだけやない?」

実際、彼らは休日にもよく集まって遊んでいるので、大阪のミナミの方でも遊びたいに違いない。ということを夫に冗談まじりに言いつつ、実際の私は、彼らが会いに来てくれるのがとても嬉しく、楽しみだった。


当日お昼。夫と私は新大阪駅まで迎えに行き、そこでお好み焼きを食べた。

今回の大阪訪問は、冒頭にあった通り、本当にM君の発案だった。「マホさんに会いに行こうぜ」の一言で、大阪訪問が動いたようだ。

「俺らのことが寂しかったと思うけど、元気にしてた?」

と聞かれて、私は正直に答えた。

「○○省でのことなんて一ミリも思い出さないで、元気に過ごしとった!」

といっても、大阪に来てから1週間ほどは、私がゆっくり過ごしている間もみんな仕事してるんだなと思って、少し心苦しかった。でもその心苦しさは次第に消えて、私は大阪での生活をエンジョイするようになった。これほどまでに東京に未練がないのは、自分でも不思議な気がした。

◆ ◆ ◆

新大阪駅で彼らと別れてから、私は、東京への未練が何でこれほどないんだろうかと考えてみた。

中高生の頃は、家庭内が不和だったため早く家を出たくて、受験勉強に励んだ。
東大に受かった瞬間は、東大で色んな経験をしようと思ってやる気に満ちていた。
○○省に内定が決まったときは、日本と世界に貢献したいという志を胸に、頑張るぞという気持ちでいっぱいだった。

東京で過ごした9年間のうち、前半の4年間は、色んな希望を抱いてきた。

そして後半の5年間は、失望や無力感を抱いてきた。

あんなに4年間頑張ってきたのに、うつになってから、積み上げてきた努力の塊が一気に崩れた気がした。頑張り屋さんな自分が全否定されたような気がした。それでも、何とか回復して、新しい人生を歩んでいきたかった。

私が東京に未練がなくて、思い出さなくなったのは、これからの新しい人生に集中しているからだと思う。

「人生をリセットしたい」という気持ちとは少し異なる。私はあくまでも、これまでの人生の延長として、新しい人生があると思っている。これまで起こった出来事、特にうつになった経験を、なかったことにするつもりはない。そこで感じた苦しい気持ち、悲しい気持ち、その他ポジティブとは言えない複雑な思いを抱えて、うまく処理して、次に進んでいきたい。

◆ ◆ ◆

M君は、この夏から、海外の大学院に留学に行く。

私も入省時点では留学を希望していた。でも、うつになって体調を崩したことで、主治医や人事から、留学はやめた方がいいと止められた。

M君のようなキャリアを、もうこれ以上私は歩むことはない。一度志したキャリアを、私は歩まないことにした。

私にとって、いや誰にとっても、人生の転機は思いがけないタイミングで、思いがけない内容でやって来る。私は、人生の流れに逆らわず、転機を好機にできたらいいなと、M君の来阪を通して考えてみた。

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