習慣はいらない
その日その時その場所でしか出せないエネルギーを素直に出せば、それでいい。
なのに、それを邪魔するのが 私の場合「習慣」にある。習慣というより、自分への課題と表現した方が実際にそぐうかもしれない。
声を整えるお稽古は、日々積み重ねたい。
例えばこんな感じのメニュー
①ストレッチ
②ストレッチポール
③呼吸
④母音
⑤五十音の短音、連続音
⑥外郎売
⑦朗読の練習
などなど。
声帯と体が目覚めていない早朝は①〜③まで、
出かける前に⑤までできたら御の字、
①〜⑦フルコースできたときは「よっしゃ」という気持ちになり自分に合格のハンコをおす。
まるで検品済みのマークをつけるように。
素敵だなと思う暮らしをしている人には
その人だけのモーニングルーティンがある、
そんな動画を見た。
登場する素敵な人たちは
そのモーニングルーティンをすることで
その日の自分を整えているようだった。
影響を受け、わたしも「ご機嫌ないちにちをスタートするためのモーニングルーティンをつくろう」と試みた。
起きたらまず白湯を作って〜
神棚にあいさつして〜
ストレッチして〜
メイクをしながら玄米炊いて〜
植物にお水をあげて〜〜・・・
苦しくなって3日と続かなかった。
その日その時の気分で、朝を過ごす、
それが一番しあわせ。
一方のボイトレ・ルーティン、
こちらは やはり「声を使う仕事をしている者たるもの日々の鍛錬が重要」という意識が根強く、「やりたい」と「やらねば」が絡み合って一本の太い縄になり私に巻き付いている。
先日、声が出にくくなったことをきっかけに
専門の耳鼻咽喉科へ行った。
声帯の写真を撮ってくださり
声帯そのものが疲れ切っていることがわかった。むくんでいたのだ。
原因は
体調、疲労、精神的なもの、色々あって特定はできない。とにかく
体が「休みたい」という声をあげていた。
声を元に戻すには(といっても他人にとってはわからない程度の変化らしい)声を使わないのが一番。その方法が唯一といってもいいくらいだ。
仕事以外はなるべく静かに過ごすことに。
ボイトレをやらない理由ができて、
びっくりするくらいほっとしている
自分がいた。
しかも トレーニングしなくても
体、口内、呼吸 は 最適化される。
あっという間に声の不調は消えた。
さらに
リスナーさんや、視聴者さん、目の前にいる人、一人ひとりとの呼吸のキャッチボールが
より現実的で実際のものとして感じられる。
エネルギーを交換している、という実感がある。
ルーティンがあって、もしそれができなかった時に「やれていないと検品済みの自分でない」みたいな気持ちになっちゃうなら、無い方がマシなのかもしれない。
習慣に縛られるくらいなら
習慣を手放して自分を解放した方が
よっぽど生きやすい。
習慣は ただの結果。
あとで振り返ってみたたら、そうだった、ってだけのことなのかもしれない。
「やりたい」と「やらねば」で撚った糸から こんがらがってきたら、
ゆるゆる ほどきましょ。
とはいえ
やりたい も
やらねば も
日々 つきまとう感情。
どうしたものか。
そろそろボイトレを再開しないとちょっと不安になりそうな私がいる。
でも、これだけは 確か。
その日その時その場所でしか出せないエネルギーを素直に出せば、変な後悔はない。
時には習慣を手放す勇気を持ってみよう。
今を生きるっていうのは
そういうことなんだなーと
ふんわり思いました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?