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積み重ねたものはペラペラでした 後編【30分日記 Vol.27 1/24】

昨日は何の話をしていたんだっけ…?
最近寒すぎるのよ。
これじゃスマホを動かす指も凍っちゃうじゃないの。

…あぁ、そうそう。
共通テストの話だ。
それで私の受験生の頃の話をしようとしたら、寝ちゃったんだ。

↓昨日の記事はこちら

勉強は積み重ねだとよく言われる。
本当にその通りだと思う。
だから、受験生の頃の話をするには、もっと前の話が重要になりそうだ。

私の全盛期は、小学生にある。
…小学生かい。
自分で書いていて悲しくなってきた。
もちろん、今の方が色々なことを経験しているというのはあるけど、純粋な頭の回転の速さや能力で言うなら、やっぱり小学生だったように思う。

勉強する時間が周りよりたくさんあったから。

小学生の多くは遊びに時間を割き、実に健康的な毎日を送るはず。
放課後になれば少し残って校庭で遊んだり、家に帰って急いでDSを持って行って誰かの家で遊んだり。

私はどうだっただろう?
思い返すと、学校以外で友達と遊ぶ、という経験はあまりなかった。

帰りは親に迎えにきてもらっていたから。
いくら少し歩けると言えど、車椅子使いに変わりはなく、安全を考えてそうしてもらっていた。

それでも、少しでも長く遊びたくて放課後友達と話していることもあったから、車で迎えにきた親を長く待たせてたっけ。
すまん母親よ。
しかし長い間迎えにきてくれてありがとう。

少し話が逸れてしまった。
まぁとにかく、帰りはあまり遊ぶことなく家に帰っていたおかげで、時間がたくさんあったという話。

だから、スヌーピーの漢字ドリルはえらく丁寧に書いたし、やっぱりスヌーピーの計算ドリルは間違いがないか何度も確認して、完璧な宿題を完成させたものだ。
それが復習としてめちゃくちゃ役立っていたことに、当時の私はあまり気づいていなかったけど。笑

私の勉強としての「積み上げ」ができていたのはここまで。
実に短い人生だった…。

受験生に向かってこのあとどうなるのかだって?
…ってお前、そりゃ高校数学で8点叩き出すとかだよ。
あ、100点満点だからね?
10点満点かな?とか言った人は人権侵害です。

まぁ、なんでこうなったのかも、だいたい分かる。
「勉強」の方法が、最後まで分からなかったのだ。
分かろうとしなかった、というのもあるのかな。

中学高校になると、勉強の質が大きく変わる。
難易度はもちろんだけど、今まで遊んでいるだけだった人たちが、「学生」を経て少しずつ自分に合った勉強の仕方を学んでいく。

ノートにまとめる時はこうしたらいいんだ。
こうすれば頭に入るんだ…と。

一方私は、いつまでも小学生の頃から抜け出せずに「時間をかける」ことしかしなかった。
どれくらい頭に入ったかで言うと、マジで2〜3割がいいところなんじゃないかと思う。

あぁ、そうか。
私が小学生の頃うまく行っていたのは、方法が分からない分を時間で埋めていた、ただそれだけだったのだ。
思えば、小学生の時だって中学受験組には敵わなかった。
誰よりも早く、勉強の方法を身につけていたから。
時間だけじゃ、どうにもならない。

過去の栄光?のカラクリは、高校生になってやっと気づいたことだった。
学校っていうのは、ただ知識をつけるだけじゃない。
将来に備えて、勉強の方法を知る機会だった。
私は、そのチャンスをみすみす逃した。

そんな状態で、受験生になった。
高2から高3。

やっぱり、勉強の方法は身につけないまま。
本当にいつもその場しのぎで、テストがある時に「なんとなく」テキストを眺める。
これじゃ、ロクな受験生にならないわけで。

「ここまで頑張ってきたから、大丈夫!」
受験終盤の励ましでよく言われる。

…やってないんだよなぁ。
積み上げなんて、ペラペラだわ…。

すごく後悔した。
みんなやってるから、これで励ましになるんだもんな。
積み上げて勉強していれば、違った世界が見えたのかもしれない。

結局受験は、いわゆる「根拠のない自信」ってやつで乗り切った。
できなかった部分を適当に正当化して、適当に逃げてしまった気がする。

そりゃ、頑張った部分もあるのかもしれないけど。
胸張って「できたよ!」と言えるものではないことは確か。

もう、こんなことはないようにしなきゃいけない。

私には、受験は後悔の多いものだった。
受験生には、受験が「後悔のない、やりきったできごと」であって欲しいなぁと心から思う。

本当に当時思ったまま書いたから、いつも以上にまとまりがないけど、今日はここで終わり笑
ちょっと書きすぎちゃったかな。

それではまた明日お会いしましょう。

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