私の麻雀人生を思い出しながら、昔の名古屋の麻雀事情について書いてみた。

私の麻雀歴は牌を触っただけならば50年と言うことになる。50年という歴史についての是非は今回は問わない。大学に通う前に浪人中に覚え、大学に入り、上京。大学生の時にはほぼ毎日と言ってもいいぐらい、明けても暮れても徹夜も交えてよく触ったものだ。

社会人になってからも上司に誘われたのだが、ある日を境に全く誘われなくなった。
そしてフリーに通うようになる。当時のフリーというものは今も変わらず1人でいくものではあるのは当たり前なのだが、そんな連中は仲間内からつまはじきにされた人が集まるのだろうな…と思っていた。

そして、東京から名古屋に戻る。学校はデザイン系だったので、その腕を元にフリーランスで生活する一方、麻雀は忘れることができず、フリー店を営業。いい時もあり、悪い時もあった。こんな生活を兄の奥さんが
「孝次さん、いいこともあり、悪いこともあり、人生はチャラですね。孝次さんはお金を残すことは難しいかもしれないけど、子供4人残せたことがあなたの財産だと思いますよ」と言ってくれた。褒めてくれているのだとも思っている。

今はお店を持たない状況で、健康麻雀の講師をメインに活動をしている。慕ってくれている生徒には心から嬉しいと思う一方、私との麻雀、私の作り出した雰囲気を楽しみにしているベテランシニアの方もいます。歯応え十分の強者ばかりですので、平日にお暇がある方はぜひ遊びに来てください。世界が変わります。

そんな風に卓の面倒を見ている一方で、他の卓に耳を傾けていると、昔から名古屋に住んでいるであろう90近い男性がリーダーとなり卓を作ってる。ルールは名古屋に根付いている完先となる。完全先付…つまり、完先というルールを説明すると、確定していない役は認めないというルール。
例えば、数牌をポンしてからの役牌ポンは駄目。確定していないリャンメンの三色の聴牌は三色として認めないというルールである。

名古屋では今でこそありありのフリー店が増えているが、身内の麻雀というと完先が定番である。よくよく考えてみると、名古屋ルール、関東ルール、関西ルールなど…どこの地方にもその場所に根付いたルールがある。
ちなみに完全先付けで卓を囲んだこともあるし、調べたこともあるのだが、よく揉める。なので、麻雀を始める前にしっかり決め事をしないと大変なことになる。
私が北海道に行った時はかなり関東のルールだったと記憶している。
読者の皆様の知っているローカルルールの情報交換も面白いものと思います。

麻雀をしている人の雰囲気もかなり違っていたと記憶している。
東京への武者修行をしていた時に東京のフリー店に顔を出していたこともある。東京のフリー店で感じたことは、ファッションに加えて、ずいぶん垢抜けているなぁと思った次第である。40代の頃からフリー店を営業した時にはさすがにルールはありありにし、そのアリアリ目当てのお客様にお越しいただいたのであるが、地方色ということを思い出すと、ずいぶんドロクサイ麻雀だったと記憶している。
名古屋は都会でもある。一方で名古屋に住む人は「偉大なる田舎」と自虐してしまうのだが、麻雀についてもその通りだなと思ったのだ。

懐かしい話である。

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